長年、日活作品でメガホンを取った映画監督・中平康の娘で、吉永と交友のあった作家の中平まみ氏が述懐する。
「渡さんはまだヨチヨチ歩きの新人で、すでにスター女優となっていた小百合に『先輩、演技のことを教えてください』と教えを乞うていました。
彼はアクション以外の本格的な演技が初めて。学生時代に空手に打ち込んでいた渡さんは、小百合好みの朴訥なタイプで、波長が合ったのでしょうね。2人は急接近し、渡さんは小百合のことを、親しい仲間うちでは『うちのカミさん』と呼んでいたといいます」
だが、現実に結ばれることはなかった。吉永の両親の猛反対があったからだといわれる。
「小百合は両親に結婚する意思を伝えていましたが、芸能活動に何かと口出ししていた両親は、『あんなにモテる男じゃ苦労する』と、なかば無理矢理引き離そうとしました」(中平氏)
両親を説得できなかった吉永は、渡さんに「あなたとは結婚できません」と涙ながらに伝えたという。こうして2人の恋愛は終焉を迎え、渡さんは1971年に青山学院大学の1年後輩だった俊子さんと結婚。吉永も1973年に15歳年上のフジテレビディレクター・岡田太郎氏と結ばれた。
しかし、それぞれが伴侶を得た後も2人の絆が切れることはなかった。1998年公開の映画『時雨の記』では、吉永が渡さんを相手役に指名。渡さんが長年出演していた宝酒造「松竹梅」のCMにも吉永はたびたび出演した。2人を知る芸能関係者が明かす。