菅田将暉(27才)と小松菜奈(24才)の共演で話題の映画『糸』(瀬々敬久監督)は、1992年に発表された中島みゆき(68才)の同名の名曲に着想を得て製作された作品である。
中島といえば、歌に秘めた思いや、プライベートをほとんど明かさないことで知られている。先入観を持たずに聴いてもらうためだと言われている。そんなスタンスの中島だが、私生活において、大きな変化があった。
「実はいまから6年前の2014年末、みゆきさんは最愛の母を病気で亡くしています。彼女はそのことを公表していませんが、いまも毎日、亡き母親を胸に思い浮かべながら過ごしているんです」(中島の知人)
中島は北海道生まれ。父、母、弟の4人家族で、幼い頃は産婦人科医だった父の勤め先の都合で道内を転々として育った。
「父親は厳格なかたで、子供たちを厳しくしつけていました。母親は山形の名家の出身で、近所でも評判の美人。幼いみゆきさんは両親を『お父さま、お母さま』と呼んでいたそうです」(前出・中島の知人)
小中時代、内気で引きこもり気味だった中島は、高校時代に音楽に目覚めた。札幌の藤女子大学文学部国文科に進学後、本格的に音楽活動を始め、数々のコンテストを総なめにして「コンテスト荒らし」の異名を取った。
しかし彼女は大学卒業を機に実家に戻って、父親が開業した病院の手伝いを始めた。
「開業医になっても、中島家の生活は苦しいもので、みゆきさんとお母さんが病院で働いて家計を助けていたんです。みゆきさんの弟は父と同じ医者をめざしており、その学費を捻出する必要もあった。みゆきさんは合間を見つけてはコンテストに出場して、賞金を稼いで生活費にしていました。ヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト(ポプコン)によく出ていたのは、ヤマハの賞金だけ現金払いだったからです」(前出・中島の知人)