「いつの時代も、首相の健康状態はトップシークレット。官房長官や秘書官など数人しか本当の病状はわかりません。情報は小出しにして、その間に党内情勢の分析や後継者の選定をするのです」(伊藤氏)
多くの歴代総理は病状をひた隠しにしてきたが、石橋湛山首相だけは違った。「新内閣の首相としてもっとも重要なる予算審議に一日も出席できないことがあきらかになりました以上は、首相としての進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います」
1957年2月、病の石橋はこの書簡を残し、わずか在任65日で内閣総辞職をした。その潔い決断は今も語り継がれている。
※週刊ポスト2020年9月11日号