佐藤がとくに重用したのが叩き上げの田中角栄と、大蔵官僚出身の福田赳夫、いずれも後に総理となる対照的な2人だった。
前述した政権発足当初の五輪不況では、田中蔵相が日銀の慎重論を押し切って山一証券への日銀特融を決めて急場をしのぎ、その後、蔵相を福田に交代させて赤字国債発行と減税を行なわせた。政権末期に日米繊維交渉がこじれた際には、通産相の田中と外相の福田が交渉をまとめ、佐藤は危機を脱した。
「佐藤は内閣改造のたびに三角大福中と称された三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘という次代のリーダーを適材適所でバランス良く要職に起用して、宮沢喜一、竹下登というその次の世代のリーダーにも目を掛けた。いずれも総理になる人材です。国を担える政治家を育てて自民党長期政権の基礎を築き、日本の政治を安定させた」(藤井氏)
そうした人事のベースにあったのは「早耳の佐藤」の情報力だ。佐藤内閣で総理番記者から官邸キャップを務めた政治評論家の屋山太郎氏が振り返る。
「佐藤さんは情報量がすごかった。側近だった倉石忠雄(元法相)に聞いた話では、人事について佐藤さんから『農林大臣は誰がいいかな』と尋ねられて名前を挙げたところ、『あいつは痔の手術をしてる。予算委員会で長時間(閣僚席に)座ってられるかな』と。
いろんなところにアンテナを張っていたから、政治家の人物像をつかんでいるし、党内の誰かが寝首を掻こうと思っても、情報は筒抜けで何もできなかったでしょう」
しかし、「人事の佐藤」も、最後の後継者選びで失敗する。佐藤は福田を後継総理に据えようとしたが、それに反発した田中が佐藤派を割って総裁選に出馬し、勝利した。その結果、佐藤はキングメーカーとしての力も失った。長期政権の総理は引き際が難しいのだ。
※週刊ポスト2020年9月11日号