第3は、労働法の壁である。職務で契約する以上、職務さえこなせば働く時間で管理される理由はないはずだ。ところが労働基準法では、使用者が労働者を労働時間で管理することが前提になっている。つまり一部の職種を除き、時間ではなく成果で働くということが認められていないのである。
第4は、労使関係の壁である。「ジョブ型」を採用すれば当然、社内でも職務によって働き方や待遇の格差が生まれる。欧米のように職業別、もしくは産業別に組織された労働組合のもとでならともかく、わが国のような企業別労働組合がそのような格差の拡大を容認するとは思えない。まして背後に人件費抑制という経営側の思惑がちらついているとあっては、いっそう強く導入に反対するだろう。
さらに、企業規模の問題もある。わが国では中小企業が大きな割合を占めている。その中小企業では、一人である程度まとまった仕事を受け持つか、複数の仕事をこなす多能工的な働き方が求められている。その点でも、狭く限定された特定の職務を割り当てる「ジョブ型」は馴染みにくいのである。
ジョブ型ブームは何を遺すか
職能資格制度や成果主義も、こうした日本型社会システムの壁にぶつかったのだ。
職能資格制度は、年功ではなく職務遂行能力をあらわす社内の「資格」に基づいて処遇することを標榜したが、労働市場が未発達な中では能力の価値を表す客観的な基準が見つからない。
そこでやむなく年齢や経験年数という、ある意味で公平かつ客観的なものを能力の代理指標として用いることになった。強引であるのを承知のうえで、年齢や勤続に応じて能力も高まると見なしたのである。こうして皮肉にも、年功制を見直すはずの制度が、結果として年功制を文字どおりの「制度」として定着させてしまったのだ。