一方、成果主義は成果という客観的な指標に基づいて処遇を決めようとするものだったが、導入の前提条件が欠けていた。
まず人事部主導で配属が決まるわが国では、本人の意に反した仕事に就く場合が少なくない。そのため仕事の成果に対して本人の責任を問うことが難しい。また一人ひとりの仕事の分担が明確でないため、個人の成果を正確に把握することができない。
一人ひとりの仕事の分担や責任、成果をきちんと把握することができるのか
当時のサラリーマン川柳に、「成果主義、最終評価は好き嫌い」という句があったが、あえて評価に差をつけようとすると、評価者の主観や裁量が入り込むのを避けるのがそれだけ難しかったわけである。もちろん上述したように成果が上がらないからといって容易に解雇はできないし、年功的な要素を完全に排除することも難しい。労働法上の制約もある。
こうした厚い壁にぶつかった結果、職能資格制度も成果主義の導入も、人事評価や処遇において能力・成果の要素を多少濃くするという落としどころ、すなわちマイナーチェンジで終わった。「ジョブ型」雇用についても、導入を検討する中で壁が見えてきたためか、さっそく「日本式ジョブ型」といった玉虫色の表現を目にするようになった。
職能資格制度にしても成果主義にしても狙った目標を十分に達成したとは言いがたいが、前者は年功制にお墨付きを与え、後者は評価者の裁量をむしろ広げるという想定外の副産物を遺した。さて、「ジョブ型」ブームはいったい何を遺すだろう。