対華二十一か条要求は、当時の東アジアのパワーバランスの中で軍事的にも外交的にも圧倒的優位に立つ日本が、中国側に力ずくで飲ませようとした苛酷な条件だった。しかし、当時の世界情勢の中では、そうした恫喝=力関係によって決まることのほうが多かった。そもそも、欧米列強が有する広大な植民地は、いずれも軍事力や外交力を背景に占領・統治したものであり、日本が下関条約で正式に割譲された遼東半島をいとも簡単に返還させられた「三国干渉」など、まさに列強に力ずくで飲まされたものだった。それと同様に結ばれた日本の条約が無効だというなら、三国干渉だって認められないはずではないか──。

 満洲事変が起きた後も、日本は中国側の執拗な抵抗に悩まされ、15年も続く泥沼の戦争へと嵌まり込んでいった。その歴史を知る後世の人間からすれば、民間の日本人青年たちの「支那のものは支那に還すべき」という理想論のほうが受け入れやすいように思える。

 だが、「やらなきゃ、やられる」「やられたら、やり返す」という列強間の「力の論理」は厳然として目前にあった。もし青年たちの言うように、日清・日露の二つの戦争で日本が獲得した満蒙の地を放棄して、中国側に返還するという選択をしていたらどうなっていたか。満洲事変も起こらず、満洲国の建国もなかったとしたら、日本はどうなっていたのか──。

 少なくとも現実問題として、帝国陸軍にその選択肢はなかった。そして渡辺は、ここから再び自身の経験を語り始めるのだが、それについては別稿に譲ることとする。

●参考資料/岩井秀一郎『渡辺錠太郎伝 二・二六事件で暗殺された「学者将軍」の非戦思想』(小学館)

【渡辺錠太郎(わたなべ・じょうたろう)プロフィール】明治7(1874)年、愛知県小牧町生まれ。小学校卒業後、家業手伝いを経て、陸軍士官学校入学試験に合格。明治29年、陸士卒業(第8期)、明治36年、陸軍大学校を首席で卒業(第17期)。歩兵第19連隊、第36連隊付。山県有朋元帥の副官などを務めたのち、陸軍大学校長、第7師団長、航空本部長、台湾軍司令官などを歴任。昭和10年に陸軍ナンバー3の教育総監に就任するも、翌11年に二・二六事件で暗殺される。事件の際に現場に居合わせた次女・和子は、カトリックの修道女となり、後年『置かれた場所で咲きなさい』などのベストセラーを残した。

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