宇宙人とも仲良くなれる弟・良太くん
良太くんは、3才児程度の知能指数で、言葉も文字も分からないし、思っていることもうまく伝えられない。しかし、岸田さんのエッセイを読むと、良太くんがいかに強くて優しい、聡明な男性かが分かる。著書に、岸田さんと良太くんの2人旅のエピソードある。志摩スペイン村のパルケエスパーニャ(三重県)に向かう途中のバス停で、両替ができないため小銭をすぐに用意しないといけない、という時の話だ。以下、著書から一部抜粋する。
《なにを思ったか、私は良太に1000円札をにぎらせた。そして、親指と人差し指で輪っかをつくって見せる。「銭」を示す下世話なジェスチャーであった。
「なんか、ホラ、あのインフォメーションっぽいところで、くずしてきて!」
何食わぬ顔でうなずき、のっしのっしと、たくましく歩いていく良太。その背中を見送りながら、わたしは全力で後悔した。
間違えた。良太が列にならんで、わたしがくずしてきた方が、よかった。
そもそも良太に、札をくずす、という言葉が伝わるのだろうか。きっと両替すらしたことはないだろう。
ああ、良太に申し訳ないことをした。バスはあきらめて、次のを待とう。
わたしがあきらめてからほどなくして、良太がのっしのっしともどってきた。
左手に小銭を、右手にコカ・コーラのペットボトルをもって。
その堂々たる姿ったら。背中から光が差し込んで見えた。
わたしは、雷に打たれたような衝撃を受けた。》
この時、岸田さんは、自分の至らなさや人間関係に悩み、うつ状態で休職中だった。だが、この時の良太くんを見て目が覚めたという。
「良太はこれまで、誰に教わることなく、とにかく“みようみまね”で生きてきたんです。困った時には助けてあげないと、なんて思っていましたが、この時の良太を見て、実際は私が思っているよりずっとたくましい存在かもしれないって思ったんです。だって、例えば今、空から突然宇宙人が襲来してきたら、誰でもパニックになりますよね。侵略者を排除しようとして、争いか差別が起きて、衝突するはずです。
でも、良太は真逆。人類で誰よりも早く宇宙人と共存できると思うんです。だって良太にとっては、よく分からなくても、みようみまねでなんとかするのが当たり前だったから。その時私は、ルールが守れない自分や、失敗ばかりする自分、人と同じようにできない自分が嫌で、自分を卑下して勝手に落ち込んで、自分で自分をおとしめていました。でも、人と同じじゃなくても、当たり前のことをうまくやれなくても、良太の世界はうまく回ってる。私はなんて小さなことで、くよくよ悩んでいたんだろうって思えたんです」
多くの人が「人と同じことができないといけない」という同調圧力に息苦しさを感じたり、悩んだ経験があるだろう。同じように悩んだ岸田さんだからこそ、彼女の言葉や良太くんの生き方が、シンプルに生きることの大切さを教えてくれる。
岸田さんのエッセイから伝わる、強さや明るさ、心のしなやかさの裏には、ひろ実さんの惜しみない愛情や、良太くんのたくましく生きる姿勢がちりばめられていた。だからこそ、エッセイを読んだ人は、岸田さんの優しい世界に笑い、涙するのだろう。
◆取材・文/小山内麗香、撮影/黒石あみ