角打ちのほか、酒の試飲会『名和㐂役の会』を催したり、“や”の字を逆さにした商号を制作したりと、新たな挑戦を続ける宏真さん。「常に若い感覚を取り入れる」という仕事の流儀は、先代の父親の背中を見て学んだ。
「親父は広く深く酒屋の仕事一筋の人。いつも楽しそうに働いていました。酒のPOPや陳列のコンテストに挑戦し、賞をもらったりしてね。店の若手を引き連れて新橋界隈で飲んでは、若い人たちの意見をよく聞いて、仕事に取り入れていたんです。常に新しいことへアンテナを張っている人でした」(宏真さん)
宏真さんが店を手伝っていた大学生のとき、父は胃がんを患って3年余りで他界した。
「若い頃は仕事に真っ直ぐな親父が怖くてね、気軽に話せなかったんですよ。今、当時の親父と同じ年くらいになって、息子も二十歳を過ぎた。息子とは、まあよくしゃべるんですが、ぼくは息子から若い感覚を教えてもらっている。あのときの親父はこんな気持ちだったのかなあって、今になって思いますね」(宏真さん)。
「店の主役はお客様」とやさしい笑顔で語る次男夫妻。家庭的な温かい店だ
店が建つ東新橋2丁目は、江戸時代には露月町(ろうげつちょう)と呼ばれていた。この地で酒屋を始めた3代目・村松仙之助さんにまつわる古い資料には、「家族は露月町で酒商を営み、一家円満である」と書かれているのだという。そんな先祖の思いどおり、店にはいつも“円満”な空気が流れている。
「先代ともお母さんともお祭りでよく一緒になったもんだ。ここのお兄ちゃんとは少年野球の審判をしてた頃からだね。家族みんなよく知ってるよ。新橋ってのは昔っからサラリーマンの街だろ、仕事で疲れた人たちにはこういう家族的で平和な店が必要だね」(生まれも育ちも新橋の70代)。
初めてこの店を訪れたというスーツ姿の若者が、
「ゲームの希少キャラを探しながら辿り着いた店です。この界隈は希少キャラが出没する神スポットですよ(笑い)」(20代、食品メーカー)と興奮気味に語りながら焼酎ハイボールの缶をプシュっと開けた。
「キリッとしていて、すっきりした味が最高。これは縁起のいい酒だなぁ。今日はとくに酒が旨いっ!」と目を細めた。
(※2020年8月7日取材)