学園紛争が長期化したおかげでできた裏社会勉強
高1の3学期から高2の1年間は、麻布でほとんど試験というものを受けていない。試験前になると正門にも裏門にも一部の生徒によってバリケードが築かれて、中に入りたくても入れない。授業もたびたび中止になった。いや、高2のどこかまではほとんど授業に出た記憶がない。学校は戦場のようだった。それが永遠に続くような気がしていた。
どうせ開いていないだろうなと思いながらちょっと遅めの10時くらいに正門まで行ってはみるが、やっぱり中には入れない。仕方がないので生徒たちはいくつかのグループに分かれて引き返す。向かう場所は、図書館か雀荘かパチンコ屋かビリヤード場。
ポール・ニューマンの映画「ハスラー」の影響で、日本でもビリヤードが流行っていた。亀田さんは恵比寿の「松坂」というビリヤード場に入り浸るようになる。店の手伝いをする代わりにプロの手ほどきを受けた。午後になると常連客がやってくる。平日のそんな時間に玉突きに来るなんて、たいてい堅気ではない。
「おい、坊や。小さいゴットーでやるか」
「はい、お願いします!」
ゴットーとは、500円・1000円という賭け金のことだ。夕方になると親分クラスがやってくる。ゴットーが5万・10万に跳ね上がる。当時の大卒平均初任給を上回る額である。そんな大人のやりとりを身近で見ていた。いま思えば一種の社会勉強だった。
現在の広尾ナショナルマーケットの裏手に当時あった麻布プリンスホテルでは、夜な夜なパーティーが開催されていた。参加者の多くは大学生だったが、そこに紛れ込んだ。国際基督教大学に通ういとこに英語の家庭教師として紹介してもらった、アメリカ人の女子大生をパーティーに連れて行ったこともある。お付き合いしたいと思っていた。結局うまくはいかなかったが、おかげで英語は上達した。