遊山旅をする江戸っ子の二人連れが、京から大坂へ向かう途中、伏見の船宿から三十石船に乗り込む。この二人のやり取りの楽しさは柳家の本寸法。いい女が自分の隣に乗り込んでくると喜んでいたらおまる持参のお婆さんだったというくだりは、市馬が演じると一際バカバカしくて素敵だ。
旅人たちのトボケた会話の何とも言えない可笑しさと、広島弁に雑多な土地の言葉が混ざった船頭たちの威勢のいい言葉遣い、そして三十石船にまつわる様々な事柄を地で聞かせる落ち着いた語り口とが一体となって、この時代ならではの大らかな旅の情緒を醸し出す。
船頭が歌い上げる舟唄は最大の聴かせどころ。落語界随一の良い喉に酔いしれ、いつしか自分も船で夜中の淀川を下っている気分に。市馬がもたらす濃厚な“江戸の風”が、聴き手を“夢の通い路”へと誘う。このご時世に我々を上方への旅に連れて行く、市馬の粋な計らいだ。「寄席のトリ、かくあるべし」という風格を感じさせる、見事な高座だった。
【プロフィール】
ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。2020年1月に最新刊『21世紀落語史』(光文社新書)を出版するなど著書多数。
※週刊ポスト2020年10月16・23日号