蒼井優の演技に注目が集まる
本作における2人の夫婦の掛け合いももちろん良いが、蒼井の凄さが圧倒的。SNSでは、聡子の重要な場面でのセリフ「お見事!」を文字って「蒼井優お見事!」という視聴者の感想が多く寄せられた。10代半ばから俳優活動を開始した彼女の長く豊富なキャリアはよく知られている。テレビドラマや映画、舞台、アニメ声優、CMと作品の形態を問わず、またコメディ、シリアス、ヒューマンドラマなど、参加する作品のジャンルも問わない。各作品で演じてきたキャラクターも多岐にわたる。
蒼井のキャリアを振り返って驚かされるのが、長い活動期間の中でここまで“停滞期”の無い俳優も珍しいという点だ。映画初出演を果たした『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)、初の単独主演映画『ニライカナイからの手紙』(2005年)、『フラガール』(2006年)、『百万円と苦虫女』(2008年)、昨年公開された『長いお別れ』など、毎年何かしら彼女の代表作と言える映画が公開されているのである。ファンにとっても「蒼井優といえば『◯◯』!」という作品がそれぞれにあるのではないだろうか。
今作での蒼井の演技は、やはりとてつもない“感情の爆発”が見どころ。これまでにも彼女は、『オーバー・フェンス』(2016年)や『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017年)、『宮本から君へ』(2019年)などの作品で感情の爆発シーンを演じてきた。しかし、一部ネタバレになるが、これら過去の作品での蒼井の爆発力は終始フルスロットル状態だったのに対し、今作でそれを見せるのはクライマックスのみ。最後の最後まで抑制された聡子を演じ続けるが、ラストの浜辺のシーンで慟哭し感情的になる聡子の姿は、凄まじい爆発の熱量にもかかわらず、それを感じさせない自然さで夫への狂気じみた愛を表現した。
その少し前のシーンの聡子のセリフも印象的だ。「私は一切狂っておりません。ただ、それはつまり私が狂っているということなんです。きっとこの国では」。このセリフは、何が正常で何が異常か、もはや誰にも分からなくなるほど人々がまともではいられなかった戦争という時代をよく表わしているし、このセリフがあったからこそ、ラストの聡子の狂気と爆発がより際立っていたように思う。
黒沢組3度目の参加となった蒼井について監督は、「会っていると“普通の人”みたいなのですが、画面に映ると、隅の方にいても後ろを向いていても輝く。観客も『どんな状況に置かれてもこの人を見続けるぞ』と思ってくれるはず」と述べている。視聴者を引き付けて止まない蒼井主演の今作は、また彼女の代表作となることだろう。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。