とんかつが食べたくなる(イメージ)

とんかつが食べたくなる(イメージ)

 だが、アゲ太郎には「音」に対するアドバンテージがあった。人々を幸せにする、とんかつを揚げる音を子供の頃からずっと聞いて育ってきたのだ。しかも祖父の代から続く名店の音。とんかつ屋とDJの共通点に気づくのは、必然だったのだろう。その後、「とんかつもフロアもアゲられる男」を目指し、DJ修行を始めてからの進化はめざましい。だが、その姿はシャープな格好良さからはほど遠く、間が抜けている。

 独自解釈のDJ修行を始め、ネットで変わり種YouTuberとして評判を集め苑子ちゃんから軽くダメ出しされて落ち込んだり、VHS教則ビデオで特訓したり、若気の至りの失敗だらけで、観る者も自分の過去を刺激され身もだえ必至だが、真剣に打ち込む彼らの姿に笑ってしまうエピソードの連続だ。失敗を繰り返しても、ボンクラだけれど優しくて真面目な三代目仲間たちに支えられ、とんかつ屋の「音」をクラブミュージックとして再構築し、フロアもとんかつもアゲられる男へと成長していく。

 成長に欠かせない師匠とライバルも、この映画にぴったりの存在感で登場する。アゲ太郎の成長を促す師匠・DJオイリー(伊勢谷友介)は、DJ以外は冴えない、どちらかといえばダメ人間で、途中、DJ仕事から干されて清掃のおじさんになっても違和感がない薄汚れた中年男だ。それでも音楽、DJやその喜びについてだけは真摯に向き合う気持ちを失うことはなく、それゆえにアゲ太郎たちの成長を喜んでいた。また、ライバルの若き起業家・DJ屋敷蔵人(伊藤健太郎)も、DJというものの存在を勘違いしていたアゲ太郎に厳しい忠告を与え、成長した彼のプレイには若者らしく衝動的に加わってフロアをアゲるのを後押しし、新しい仲間が増えたことを喜んでいた。冷静でクールに振る舞いながらも、若者らしい危うさが魅力にも武器にもなっている孤独な成功者の存在は、単なる高い壁よりもライバルらしい説得力があった。

 そして、観客である私たちは師匠でもライバルでもないのだが、間抜けな失敗と奮闘を目撃したために、一緒にとんかつDJアゲ太郎を育てたような気分になっていた。

 クラブDJとして一人前になる成長物語であると同時に、とんかつ屋三代目としての成長もつづられるこの映画では、下ごしらえから揚げて客に出すまで、繰り返しとんかつを作る様子が描かれる。付け合わせのぬか漬けのためにぬか床をかき混ぜ、キャベツを千切り、肉の筋を切って、つなぎをつくり、豚肉にパン粉をつけ、揚げ油が跳ねる音が変わるのを確かめ引き上げる。この工程すべてにそれぞれ音があり、客をアゲるのがとんかつ屋であることが示される。アゲ太郎の父・揚作(ブラザートム)が口をへの字に曲げたまま絶妙なタイミングでとんかつをすくい上げる様子は、フロアをアゲるDJの姿と重なる。そしてアゲ太郎は、とんかつとクラブミュージックの一体化に成功し、老若男女が楽しく過ごせる夢の空間を実現させるのだ。

 映画『とんかつDJアゲ太郎』では全編にわたり、悪意を持って誰かを貶めようとする事件は起きない。誰もが人を楽しませながら自分も楽しもうという向上心のもと何かに熱中し、その努力をする人を応援している。また、たいていの成長物語では子供時代との決別を象徴するかのように、何かを捨てたりあきらめたりする描写がつきものだが、それも見当たらない。アゲ太郎と三代目たちが集まる理想のおもちゃ箱をそのまま現実にしたような秘密基地は、破壊も消滅もしない。今を否定しなくていいよと肯定され励まされて映画を見終わると、幸せな気持ちでとんかつを食べたくなるのだ。

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