当時を振り返り、こう反省したS氏。10年間、朝から晩まで机に向かって漫画を描き続けて年収は150万円ほど。座り仕事のしすぎで頸椎椎間板ヘルニアを患ったことを機に、S氏は派遣の警備員の仕事を始めることにした。だが、不規則な勤務時間、重労働、危険と隣り合わせの職場、体育会系気質……警備員の仕事は世間的にはブラックな仕事とされている。何より目立つのは給与水準の低さだ。厚生労働省によれば、警備員の平均年収はどの年代も300万円前後。日本人の平均年収の約430万円と比べると、警備員という職業は間違いなく低収入の部類に入る。
S氏がなぜそのような仕事をあえて選んだかといえば、「ブラックで慢性的な人手不足の警備業なら、自分のようにまともな職歴が無い人間でも雇ってくれる」と思ったからだという。そしてS氏はこの採用面接で、自らの学歴を「高卒」と偽る履歴書を提出した。
「東大まで出て警備員になろうとする人はめったにいないよね。学歴を知られると『こいつは社会性に致命的な問題があるんじゃないか』と思われるじゃない。それに、職場で東大卒の学歴をいじられるのも避けたかったしね。正直に言えば、東大まで出ていて30代後半の働き盛りに、警備員の仕事に応募していることに対する羞恥心もあった」
おそらく最後の理由が一番の本音なのだろう。いずれにしても「警備員になろうとするとき、東大卒の肩書きは不要どころか邪魔でしかなかった」そうだ。
その後、無事に警備員となったS氏の現在の年収は230万円。国税庁によれば40代前半の日本人男性の平均年収は約560万円だから、その半分以下だ。同世代の東大卒の平均年収とは比べるまでもないだろう(ちなみに、転職・就職のための情報プラットホーム『OpenWork』の運営会社が2019年に発表した「出身大学別30才年収ランキング」によれば、ランキングの1位は東京大学で年収810.9万円とされている)。
だが、たとえ給料は安くても、S氏は今の仕事に十分満足しているという。施設警備員の仕事はルーティン・ワークで、慣れてしまえばまったくエネルギーを使わずにこなせる。机にかじりついて血ヘドを吐きながら漫画を描いていた頃より、精神的にはずっと楽なのだそうだ。また、少人数で回しているから職場で人とあまり会わなくていい。自らを「コミュ障」という彼には、そんなところもありがたいのだった。