ドラマのモデルである「大阪のお母さん」こと浪花千栄子は、一筋縄ではいかない人物です。「上方のコメディエンヌの生涯を描く」という朝ドラ紹介文を目にしましたが、「コメディエンヌ」の一言で済むような軽い存在ではない。
「私の半生は、人に、かえり見もされないどぶ川の泥水でございました」(自伝『水のように』)。浪花さんは人生を振り返って、そう言い切っていた。
小学校にも行けず奉公を経てカフェで働き、やっと女優となった後も夫の裏切りにあって自殺未遂、離婚、失踪。その生き様は七転八倒、本当に「奈落」そのものから這い上がって、やがて誰からも一目置かれるような「大阪のお母さん」になっていったのでしょう。
小津安二郎監督の映画『彼岸花』(1958年)の中では、中年の浪花さんの魅力が炸裂しています。娘の婿を探す素っ頓狂な母親を演じ、ひょうきんなしぐさと語りだしたら止まらないセリフ回しが観客を笑わせる。それでいながら本人の目はちっとも笑っていない。あるいは同監督『小早川家の秋』(1961年)では造り酒屋の当主(中村鴈治郎)の愛人を演じ、切なくもの哀しい女っぷりを見せつけました。
笑いの向こうに透けて見える人生の深淵。生きることの複雑さ、絶望も含めてのおかしさ。それこそが浪花千栄子の魅力であり、杉咲さんがそのあたりをどう引き受け描き出していくのか、今後が見物です。
喜劇役者といえば、先日惜しまれつつ逝った小松政夫さんもたいへんな苦労人でした。中学の時に父を亡くし定時制高校に通い和菓子屋で働いた。その小松さんが残した言葉に「笑わせて笑わせて、最後にホロリと泣かせる芝居をしたい」というものがあります。やはり笑いの向こうに人生が見えてくる役者でした。
年を重ねていく千代を誰が演じるのか、それも課題の一つでしょう。まさか23歳の杉咲さんが老け役まで一人で全てを演じるのかどうか。いくら「巧い」役者とはいえ、無理があるのか、ないのか? 杉咲さんがこれからの千代の成長と成熟、人生の機微をどのように描き出していくか。笑いの向こう側に「哀」という一文字が滲むような奥行きのあるドラマになって欲しいと願っています。