手のマッサージでお客さんがリラックスしてゆくのが分かるのも嬉しかった(イメージ)
西山さんの失業は「やりがい」の消滅であって、生きる糧を失うのではないから生きづらさとは繋がらないのではないか、そう思える人は幸福だ。しかし、人はパンのみにて生くるにあらず、と聖書にあるように、精神的な満足がなければ生活が辛くなってしまうものだ。ただ、それでも食べていくのに困らないのは、まだ恵まれている方なのかも知れない。
いま大量に出現している失業者には、非正規の女性が多く含まれている。スーパーでパートタイマーのレジ打ち、レストランでウェイターのバイト、こういった現場で働いていた女性たちは、コロナ禍で真っ先に「切られた」のである。そして彼女たちの仕事は、雇用する側は補助的だと考えているかもしれないが、報酬を受け取る側とその家族にとってみれば、なんとか生活を成り立たせるための大事な収入で、決して欠かすことができないものだ。介護施設で非正規で働く30代女性は、家庭の事情で非正規しか選べないという。
「私は介護事業所の臨時スタッフですが、今私たちが働ける仕事といえば、不特定多数の人たちと接する業務、介護とかサービス業しかない。家には小学校低学年の子供がいるため、自宅内であまり接しないようにしながら仕事を続けています。仕事があるだけマシだと自分に言い聞かせつつも、常に危険と隣り合わせで神経がすり減る思い」(千葉県内の女性介護士)
女性の月の収入は10数万円程度。夫も非正規の団体職員で給与が良いとはいえず、生活していくために「共働き」であることは必須の条件でもある。
「本当は専業主婦がよかったんです。夫も同じ気持ちでしたが、不景気でそうもいかない。母親でも働かなければならない、という現実が確かにあり、そうした人々の居心地をよくしよう、権利を守ろうと言われていても、こういうことがあると真っ先に切り捨て。これが現実だなって」(千葉県内の女性介護士)
騙し騙しやってきた「社会の歪み」がコロナ禍によって可視化され、新たな貧困層を生み出そうとしている現実もある。コロナ禍は、女性は社会の補助的な立場で良い、補助になれば戻れない、そんな世の中であったことを認め、是正するには良いタイミングではないかとさえ思う。もちろん、補助的な立場の人は男女を問わず必ず、いつの時代でも必要であるから、今以上の手厚い身分補償、生活保障も必要だ。
ウイルスの蔓延にとどまらず、明らかに国家の危機と繋がっているように思えるが、正面切って指摘されることはほぼなく、あくまで失業率の話題だけにとどまる。パンデミックを恐れる前に、自身の無関心を呪うべきなのかもしれない。