藤澤氏は銀行の元同僚や下積み時代を知る友人らの証言と本人の言葉を組み合わせ、また生前に親交した同業者からも話を聞くなど、主観と客観とを総動員して、矢口や作品に関する「なぜ」を浮き彫りにしていく。
「元記者の性ですね。そのせいか丸5年もかかってしまい、最後にお会いした時、〈この本、本当に出るの?〉とおっしゃった先生に現物をお見せできなかったのが本当に申し訳なくて……。
ただ、自然と人の繋がり、それが僕のテーマだとおっしゃっていた先生の思いは、器用な方ではないだけに、デジタル化やリモート化が進む昨今、リアルなものや自然の恵みに対する我々の飢えや憧れに直に訴える気もするんですよ。
先生自身、東京であれだけ成功しても都会人にはなり切れないというか、故郷の自然は守りたい、でも発展もしてほしいという地方出身者特有の葛藤を抱え、その複雑さが単なる釣り漫画や少年漫画を超えた深みを作品に与えているのかもしれません」
例えば釣堀と渓流釣りを比べ、上下を争う愚かさをサラッと諭しもした矢口は、『三平』の最終巻を全国の釣り好きが海や自然環境の保護を訴え、国会前に集う、デモの描写で締めている。
「先生はあのシーンが一番書きたかったらしくて」
地方の話もそう。本物の豊かさや命の輝きに迫ったその作品に、たぶん時代の方がようやく追い付いたのだ。
【プロフィール】
藤澤志穂子(ふじさわ・しほこ)/1967年東京生まれ。学習院大学法学部卒。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程中退後、産経新聞社に入社。社会部、経済部、コロンビア大学ビジネススクールフェロー、外信部等を経て、2016年より秋田支局長。2019年4月に退社し、現在は県立広島大学で秘書広報担当課長を務める傍ら、ジャーナリストとしても活動。「私自身、地方の魅力や可能性に、矢口先生に出会ったことで気づいたんです」。著書は他に『出世と肩書』。160cm、AB型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2021年2月5日号