北海道のなかでも寒さの厳しい足寄で育った松山(写真は2018年)
千春がミヨさんをステージ上にあげたのは、このときが初めてではなかった。
「千春さんが足寄町で凱旋コンサートを初めてやったときに、お母さんがステージで踊ったんです。そのときのお母さんが本当にうれしそうで、親孝行ができたなって思ったって、ご本人が話していました。それまでずっと土木作業で苦労してきたからね。自分たちを育ててくれたことに千春さんはすごく感謝していてね。お母さんにはたくさん楽しい思いをしてほしいと話していました」(芸能関係者)
が、いつの頃からかミヨさんの姿はステージ上で見られなくなる。
「15年ほど前に認知症であることがわかり、千春さんの義兄さんと甥っ子さんが一緒に暮らして面倒を見ていたんです。それでも3年前に大腿骨を骨折して入院したことで、症状がぐっと進行してしまいました」(前出・芸能関係者)
千春もラジオで時折語ることだが、ミヨさんはここ数年、千春の顔を息子と認識できなくなっていた。それでも、ミヨさんは、変わらず千春の母であり続けた。
「お見舞いに来た千春さんのことは誰だかわからないんですが、自分の息子が千春という名前の有名なフォークシンガーだということはわかっていて、それをうれしそうに周りに自慢するんです。しかも、『大空と大地の中で』は、歌詞を見ずに、ミヨさん独特の歌いまわしで歌えていました。息子を誇りに思う気持ちは、最期まで消えることがありませんでした」(前出・足寄町民)
記憶が失われていく母とその息子の間には、ひとつの約束があった。
「千春さんはお母さんと、『母さんの100才の誕生日には盛大なパーティーをするから』と約束していました。この約束は、お母さんの認知症が進行する前の、最後の約束だったんです。ですから、千春さんはその約束をとても大切にしていました。お母さんだって、楽しみにしていたと思います」(前出・足寄町民)
その約束は、あと2か月という目前で、果たせぬものになってしまった。葬儀の日は、連日の暖かさが嘘のようにグッと冷え込み、マイナス21℃。頬を伝う涙も凍る一日だった。
※女性セブン2021年2月11日号