「仙台貨物ターミナル駅の敷地は広大です。これらの機能を損なわずに移転させなければなりません。そうした点に加え、移転予定地は農地法で守られている区画でした。土地の売買をはじめ、農地を転用するので関係者間の調整をしなければなりません。また、農地を鉄道用地として利用できるかどうかの地質調査、環境アセスメントなども実施しなければなりません。それら一連の作業を踏まえると、移転作業は順調に進んでいると考えています」と経緯を説明するのは、JR貨物経営統括本部インフラ整備推進部の担当者だ。
つまり、何も建物がない農地だからといって、簡単に買収できたり構造物をつくったりはできないのだ。くわえて課税を未来へ繰り延べられる圧縮記帳といった税制の特例措置を認めてもらうためには、土地収用事業として認定されなければならない。端からだと容易に見える移転作業だが、煩雑な手続きは山ほどある。
移転計画が長期化するのは仙台貨物ターミナル駅特有のものではなく、すべてに当てはまる。大阪駅に隣接していた梅田貨物駅は1970年代から移転の計画が浮上し、供用が終了したのは2013年。
新橋駅近くにあった汐留貨物駅は1986年に供用を終えたが、区画整理が完了したのは2002年。梅田も汐留も、それから開発が活発化した。そして、いまだに街は変貌をつづけている。こうした先行事例を踏まえても、10年という歳月は短い。そんな短期間で貨物ターミナル駅を移転させることは難しい。
仙台貨物ターミナルの移転は、防災機能の強化や物流需要のシステムを最新鋭のものへと更新するといった公共性・公益性を帯びた事業でもある。そのため、行政・鉄道事業者・地元住民の3者が協力的な姿勢を示していた。それでも移転には膨大な時間を要し、埋蔵文化財の出土といった想定外の出来事も起こる。
高輪築堤は貨物ターミナル駅の移転ではないが、予定していた開発スケジュールに狂いが生じているという点では共通している。
約1.3キロメートルの高輪築堤のうち、JR東日本は一部を現状保存すると表明。他方、文化庁をはじめ東京都や地元の港区、学者団体などからも保存に関しては意見が百出している。そのなかには全面的に現状保存を求める声もある。
今後、関係者間で活発な議論が交わされることになるだろうが、JR東日本の開発計画は大幅に見直しされることは間違いない。
計画を見直しても、こうした開発案件で誰もが納得できる解決策を見出すことは難しい。一部を保存するにしても「どこまで残すか?」という議論がついて回る。さらに、「どのように残すか?」も重要になってくるだろう。
JR東日本は、それまで交通博物館と活用されてきた旧万世橋駅を2004年に複合商業施設へとリニューアルし、東京駅の赤レンガ駅舎は2012年に復原された。また、有楽町駅と新橋駅の間の高架下はレンガアーチの残る明治期の遺構だったが、それらも2020年に商業施設化と鉄道遺構の保存を両立させた。
こうした前例は、厳密には現状保存と言えないかもしれない。しかし、できるだけ多くの人が納得できる結論に近づけようとした苦肉の策でもある。
計画が遅れることは仕方のない。開発スケジュールの遅れはJR東日本にとって大きな痛手になるだろう。それだけに、行政は歴史の保存に対してどこまで支援するのか? も問われる。そして、民間企業は歴史の保存にどこまで協力すべきなのか?も議論されることになるだろう。
せっかく高輪ゲートウェイ駅が開業して注目も集まっているのに、なぜ駅周辺は寂しいままなのかと思われているかもしれないが、空いた場所に何かをつくることは簡単にまとまる問題ではない。それだけに熟議が待たれる。