「お別れを言うため、息子の顔を見たら、別人のようにげっそりと痩せていて……。この姿を息子は私に見せたくなくて病気のことを伝えなかったんだと腑に落ちました」
そう語るのは、3月24日、がんで急逝したバルセロナオリンピック柔道金メダリスト・古賀稔彦氏(享年53)の母・愛子さん(79)だ。
川崎市内の寺院で3月29日に営まれた葬儀・告別式には、後輩の元柔道家・吉田秀彦氏(51)ら、約1000人が参列。愛子さんも古賀氏の故郷・佐賀から駆けつけた。
「稔彦の訃報を知ったのは、亡くなった当日。長男(古賀氏の兄)からの電話で知りました。息子はお嫁さんや長男に、私にだけは闘病のことを言わないで、と口止めしていたそうで、突然のことに本当に驚きました……。葬儀の前に、腕から指先の1本1本まで湯灌をしたのですが、『一本背負い』を繰り出していた腕が棒のように細くなっていて。でも関節の節々だけはしっかりしていた。『お疲れさま。よく頑張ったね。もう、ゆっくりしてね』と何度も心の中で声をかけました」(同前)
古賀氏は、近所で評判の孝行息子だった。1996年に父が他界した後は1人で暮らす愛子さんのため、折に触れ実家に帰り、近所のスーパーで材料を買い込み、天ぷらなど得意料理を振る舞った。
「一緒に洋服屋を回り、2時間以上もかけて私の服を選んでくれたこともありました。まるで私がマネキンになったように色々な服を着せてくれたり靴を履かせてくれたり。私に何かすることが自分の喜びなんだ、と言ってくれましたね」(同前)
年末年始には家族を連れて実家を訪れていたという古賀氏だが、今年は新型コロナの感染拡大を危惧してとりやめたという。親子の久々の対面が、息子の通夜となってしまった。
実家の床の間にしつらえた仏壇には、遺影として飾られたバルセロナ五輪の記念写真とともに、小さな骨壺が安置されている。
「年齢のこともあり、もうあちらにお墓参りに行くことは難しい。私からお願いして分骨してもらいました。これからは、この家で息子と2人、『ただいま』『今日は買い物行ってきたよ』と語り合いながら暮らしていこうと思っています」(同前)
「平成の三四郎」は最愛の母の元へ帰った。
※週刊ポスト2021年4月16・23日号