本人は、それまでのアイドルとは全く違う世界観を作り上げようとしていたと思います。最先端ブランドだった「アーストンボラージュ」とか、バブル期に流行した「ネオジャパネスク」などの世界観を取り入れたかったんじゃないでしょうか。
しかし、まだまだ芸能界は古い体質だったから、それについていけるスタッフは少なかったと思います。アイドルといえばミニのパラシュートスカートで腰を振って踊る、本人が不満を感じていても周りがなだめればいい、という風潮がありましたから、中森はそれに不信感を募らせていたかもしれません。「ツッパリ路線」も中森の本質とはマッチしていなかった。「禁区」くらいまでは仕方なくやっていたように見えました。「飾りじゃないのよ涙は」あたりから衣装も一気に変わっていきますが、それはようやく本人がセルフプロデュースできるようになったからです。
スタッフに対する厳しい注文も、中森が最初からアイドルではなくアーティストだったからだと思います。