――周りを客観的に見るようになったのはいつ頃からですか?
オカヤ:子供の頃だと思います。臆病な割に、まったく馴染みのない島根の父の実家に一人で行って全然知らない文化の中で黙ってそこにいるだけ、みたいな。孤独なんですけどそれがそんなに嫌じゃなくて。父は2018年に亡くなったのですが、今回の2作はその影響を受けていると思います。
小学生の頃から言うことが変わっていないんです
――そうなんですね。ちなみに、どんなお子さんだったんですか?
オカヤ:親に「赤ちゃんの時からひとりで変なことをしていた」と言われたことはあります。箱からティッシュを静かに全部取り出す、みたいな。あと、「冷めていてかわいくない」とも。私、小学生の頃から言っていることが変わってないんです。作文にも「1年生の時の運動会はすごく緊張して、晴れやかに感じていたけれど、6年生になるとマンネリで緊張感がなくなります」とか書いて。
――(笑)。その視点を6年生で獲得しているってすごくないですか?
オカヤ:先生に渋い顔をされたのを覚えています。「僕たち」「私たち」「頑張ります!」みたいなのが嫌いで。先生が求める子ども像がそういうものだとは分かっているんですけど、うまく出来ない。
道徳だったか、「この話の感想を端から言え」みたいな授業があって、クラス全員が「ためになりました」と言ったことに、腹が立ったこともあります。それって、感想じゃないじゃん!と思いつつ、黙っていたんですけどね。
――義務教育の場では渋い顔をされる発言も、創作の現場ではウエルカムなわけですよね。
オカヤ:こういう考えを外に出してもいいんだと思えるようになって、初めてマンガが描けるようになりました。広告寄りのデザインの仕事をしていた時期があるんですけど、その時はその時で、「おまえらが欲しいのは、こういうことだろう」みたいな、なめくさった奴だったんです。
ところが、ある時、自分は人の意図を汲むのが下手だと気付いて。それまでは、創作なんて自分にはできない、そんなにうまい訳じゃないしと思っていたんですけど、創作の方が向いているんじゃないかと。
――そこから同人誌を作られたわけですよね。ちなみに、影響を受けたマンガ家さんはいますか?
オカヤ:模写したとかネームを描き写したことはないですけど、影響を受けたのは、高野文子さん、岡崎京子さん。ゆうきまさみさんも好きだし、杉浦日向子さんの『百日紅』は永遠のナンバーワンです。
雑誌は「コミックビーム」と「アフタヌーン」と「花とゆめ」を読んでいました。高校浪人していた頃、サブカルコミックブームだったんですよね。魚喃キリコさんとか、衿沢世衣子さんが出てきて。