『白木蓮はきれいに散らない』1巻より
――90年代ってショートとか読み切りのエッジの利いたマンガが掲載された雑誌が結構ありましたもんね。
オカヤ:ありましたよね。短編と言えば、山岸凉子さんもすごい切れ味ですよね。吉田秋生さんも好きです。しかも、お二方ともずっと現役で……。マンガ家友達とも、マンガを描き続けるって体力がいるよねってよく話すんです。
日常しか描けない、成長譚を描きたくない
――体力大事ですよね。ちなみに、コロナ禍で暮らしは変わりましたか?
オカヤ:私自身はもともと家で働いていたからそこまでではないのですが、みんな家で働くようになって、一人が辛いと感じているなとは思いました。
人がいないと寂しい人は、他者とのコミュニケーションを介さないと見えないものがあるのかもしれないですね。私はひとりで壁打ちをしているタイプというか……。そろそろ人とごはんを食べたいと思う時はありますけど。
「日常しか描けない」というオカヤさん
――オカヤさんのツイッターを見ていると、ごはんをきっちり作って、生活を楽しんでいるのが伝わってきます。
オカヤ:自分が好きなものを自分で作るほど気楽なことはないですよね。一人暮らしを始めた時って、何作って何食べてもいいんだ。嬉しい!っていうのがあったじゃないですか。人に食べさせるとなると、「この人の好みは何だろう」とか考えたりして。それはそれで楽しいんですけど。
――ひとり暮らしは大学に入ってからですか?
オカヤ:私は遅くて、実家が新宿区の西落合というところにあったので多摩美へもそこから通っていたんです。祖父が死んで、両親がマンションを買って出て行ったので、その家に兄と2人で住んでいました。一人暮らしを始めたのは、27歳ですかね。
今回の2作も庭が出てきますが、その歳まで生活の中に庭があったので、マンションで一人暮らしを始めた時は、「靴はどこで洗えばいいんだろう?」「スイカはどこで冷やせばいいんだろう?」と戸惑いました。
――(笑)。オカヤさんの作品に出てきそうなエピソードですね。
オカヤ:日常しか描けないというか、あんまり大きな出来事に興味がないんです。「成長譚を描きたくない」ともよく言うんですけど、人間、そんなに成長しなくないですか?という。逆に、何かに気付かないと変われないの?とも思います。日々変わっていくものでもあるし。
――淡々とした日常のなかに思いがけないことが起きるのが人生ですよね。40年会っていなかった同級生が孤独死したと、突然連絡がきたり。孤独死するヒロミに対して、「50代で亡くなるなんて……」みたいなことをいう人が一人も出てこないじゃないですか。かわいそうという描かれ方ではなかったのもいいなと思いました。
オカヤ:最終的に幸せって何ですかね?ってことかもしれません。死ぬのは嫌ですし、お金が無さ過ぎて飢えるのも嫌ですし、年金も6万円ぐらいしかもらえなくなりそうですけれど、不安定ながら好きな仕事で暮らせていて、この先も何となく暮らしてはいけるんじゃないかな? だったらよくない? と思っている節があります。