「本人も女優として芽が出ていないことはわかっていたようですが、“私は40才で女優として認められるようになればいいな”と思っていたそうです。本人いわく、『その方が気持ちが焦らなくて楽だったから』と生前話していました」
20代になってからは、ライバルが少ない「老け役」に挑戦し、老婆を演じることもあった。1959年からは、約10年間、森繁久彌さん(享年96、2009年逝去)主宰の劇団に参加。その後、1972年に山田太一さん(86才)脚本のNHK連続テレビ小説『藍より青く』でヒロインの姑役に抜擢され、ブレークを果たす。
「朝ドラは、出演できなくなった京塚昌子さんの代役でした。森繁劇団に参加したのも代役がきっかけでしたから、母は毎度、代役をチャンスに変えてきた『代役人生』だったんです」
運を掴んだ赤木さんは、『3年B組金八先生』(TBS系、1979年~)の校長・君塚美弥子役、そして、1990年にスタートした『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で、泉ピン子(73才)扮する小島五月の姑・キミを演じ、国民的女優となった。
「母は、性格的に前に出ようとするところが一切なかった。親友の森光子さんからは、『あやちゃんは全部遅い。やる気があるんだかないんだかわからない』とよく怒られていて、1993年に紫綬褒章をもらったときも、森さんには、おめでとうより先に、『これも遅い!』と言われていました(苦笑)」
遅咲きの彼女は最晩年になり、さらに大輪の花を咲かせた。88才のとき『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)で、映画初主演を務めたのだ。この作品で赤木さんは「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネス世界記録に認定された。
「実は、これも代役だったんです。それでも母は気にもせず、台本を読んで『やりたい』と言いました。すでに高齢で足も悪かったので心配でしたが、撮影現場で演技を始める直前になるとスイッチが入り、歩けないはずなのにしっかり歩けるようになった。本当にミラクルでした。
母にとっては、自分が脇役だろうと主演だろうと大差はなかった様子で、それ以上にスタッフや共演者の皆さんと作品を作り上げることが心底楽しかったようです。ギネスのことを聞かれても、『あら、そんなにすごいことかしら』という感じでした」
そんな女優人生を、赤木さんは自著『わたしの遅咲き人生』(講談社)の中で次のように綴っている。
《無欲になってからのほうが役者はいいわね。お金がほしいとか、人に褒められたいとか、そういうものがなくなって、自分自身との闘いになったとき、人はいい顔をしているし、いい仕事もできるのよね》
※女性セブン2021年5月20日・27日号