その後、李氏らは連日、ホテルに缶詰めになって、党規律検査委担当者の事情聴取を受けており、「精神的に不安定な状態にあった」との県職員の証言も伝えられている。李氏は1964年10月、甘粛省会寧市生まれで56歳。白銀市人民代表大会(市議会に相当)副委員長兼景泰県党委書記を務めていた。
同県では事故当時、救急車などの関係車両などの到着が遅れるなど、救急体制の不備が29人もの死傷者を出した最大の原因だと報じられていた。このため、地元の県政府職員らは、李氏の死亡が伝えられると、「甘粛省の幹部は党中央から責任を追及されるのを恐れて、地元政府の李氏に責任をなすり付けて、自殺に追い込んだのだ」などとうわさしているという。