「先生から作品が送られてくると、毎回『上手いなぁ』と感心しきりでした」(時事通信フォト)
ちょうどカミさんとデートしていた時に、音楽家のフランツ・リストの生涯を描いた『わが恋は終りぬ』という映画を観たんです。それから少し経って、職場で先生に「古谷、最近何か映画を観たか?」と聞かれたので、「『わが恋は終りぬ』を観ました」と答えたら、「えぇ~っ!」と先生がたいそう驚いて。「リストの生涯を描いた素晴らしい映画だけど、古谷があんな映画を観るのかぁ……何で観たんだ?」と不思議がっていました。まさかカミさんとのデートだったとも言えず困りました(笑い)。
当時、先生は横山光輝さんや石ノ森章太郎さんにライバル心を燃やしていました。『鉄腕アトム』は人気で『鉄人28号』に勝てなかったため、「なんで俺の漫画は人気が出ないんだ」とイラつくこともあって、“先生でもそんなことを気にするんだ”と不思議でしたね。
〈古谷は、手塚のアシスタントを3年間で辞め、1961年に独立。1963年に赤塚不二夫のアシスタントになった古谷は、“相棒”として1歳年上の赤塚を支える傍ら、自作の発表を続けた。1970年から『少年サンデー』に連載した『ダメおやじ』がヒットし、人気漫画家となる〉
『ダメおやじ』で小学館漫画賞を貰った時(1978年)に、手塚先生がお祝いに来てくださいました。僕がスピーチで「(手塚と赤塚の)2人の偉大な先生に師事できて、すごくラッキーでした」と挨拶すると、先生は「お前は赤塚不二夫の弟子だ。俺の弟子と言うな」と。
『ダメおやじ』は赤塚っぽいテイストだから、“俺の影響を受けてないじゃないか”というわけです(笑い)。
だけど、自分が漫画家になれたのは手塚先生がいてくれたおかげ。憧れの先生に「俺のところにいた人間が漫画賞を取って嬉しいよ。おめでとう」と言っていただき、本当に嬉しかったです。
※週刊ポスト2021年7月2日号