年収200万円、月の食費2万円の暮らしで、ささやかな喜びを見つけるおづさんの作品は次第にさらなる注目を集めるようになり、プロの漫画家としてひとり立ちした。そんな彼女は「無理ゲー社会」に何を思うのか。
「確かに昔と違って人生の選択肢が多い世の中になり、どうすればいいのかと悩む人が増えたと思います。その一方で社会人に求められる基準は時代ごとに変わるので、戸惑う部分もあるはずです。
私が大切だと思うのは、“幸せの基準を自分のなかに持つこと”です。自分でつくったご飯がおいしいと思えることが私の幸せの基準かな。心が健康じゃないとおいしく思えないし忙しすぎて余裕がなくなると自炊することができない。人と比べたり人を真似したりするのではなく、自分にとって心地いいなと思える時間を増やすことをシンプルに心がけています」
最近試しているのは、“1000円で自分にご褒美をあげてみること”だと、おづさんは続ける。
「1万円となると失敗したときのことを考えて使うのにちょっと勇気がいるけれど、1000円なら失敗しても楽しめると思うし、何よりもいまの自分が何をしたいのか、何をしているときに楽しいと思えるのか客観的に知ることができる気がするんです」
実はいま、こうしたシンプルなライフスタイルは世界の最先端で注目されている。
「高度化した消費社会では、SNSやネット広告はもちろん、色や音、においなどあらゆる方法で脳の報酬系を刺激し、自社の商品やサービスに『依存』させるテクノロジーが急速に発達します。そんななかでハイテク産業が集まる米シリコンバレーで流行しているのが、ミニマリズムやストイシズムです。複雑になりがちな人生をできるだけシンプルにして、ストイックに生きることでテクノロジーの最先端にいる人たちが消費社会から降りようとしている。
日本には『わびさび』や『枯れる』を尊ぶ文化があるので、果てなき“アメリカンドリーム”を追いかけ続けなくてはならないアメリカ人より恵まれているかもしれません。瀬戸内寂聴さんや佐藤愛子さん、坂東眞理子さんなど、人生の終盤を淡々と生きる指南書が人気を集めているのは象徴的ですね」(橘さん)
いざ「降りた」後、どう生きれば満たされた生活ができるのか。ひとつの軸となるのは「好き」という真っすぐな気持ちだ。行動遺伝学の第一人者で慶應義塾大学教授の安藤寿康さんが言う。
「みんなが大谷翔平や羽生結弦になれる才能があるわけではないし、知能や学力だけでなく、“がんばる力”までも遺伝するとなれば不安が大きいでしょうが、誰しも必ず好きなものはあります。たとえば、『歴史は全体的には苦手だけれど、戦国時代だけはなんとなく興味を惹かれる』といった程度のことでもいい。
知能が重視される無理ゲー社会では、何かを好きであってもそれだけでは大して評価されないと思うかもしれませんが、自分の内側から湧きおこる興味や好きという気持ちは、『生きる力』につながります。しかも興味や好き嫌いは遺伝的素質に根差すので、好きになったものへの関心は一生続くだろうし、社会的な地位やお金にはつながらなくても、生きる力は人生に希望を与えます。だからまずはこの力を大事に育ててほしい」
大切なのは他人と比べた自分らしさではなく、自らの内側から湧きあがってくる力。それこそが残酷なゲームに押しつぶされないためのアイテムとなる。
※女性セブン2021年9月2日号