永さんは文化勲章を何度も断わりました。永六輔作詞・中村八大作曲で、梓みちよが歌った『こんにちは赤ちゃん』が大ヒットしたときは、皇居に招かれたんですよ。けれど、中村さんと梓さんだけが出席して、永さんは病欠。行くのが嫌だったんですね。それほど勲章や権威に抗い、自由でいたかった人だった。
〈坂本九が歌って世界的な大ヒットを記録した『上を向いて歩こう』は、永の代表曲と思われているが、永自身には忸怩たる思いがあったという〉
60年安保闘争のとき、岸信介首相は日米安保条約を強行採決した。デモで国会を取り囲む学生たちが機動隊に弾圧され、そのなかで東大生の樺美智子さんが犠牲になった。その挫折のなかで、永さんが樺さんの死を悼んで書いたのが『上を向いて歩こう』でした。
坂本九さんが“ウヘッフォムフィテ アルコッホフホフホフ”と、あの独特の歌唱法で歌うのを初めて舞台の袖で聞いたとき、永さんは絶句し、坂本九さんに抗議したそうです。
それがあっという間に大ヒットし、全米チャートで3週連続1位。シャイだけど権力に対しては厳しい視線を向け続けてきた永さんとしては、仲間の女学生への鎮魂歌が流行歌として爆発的にヒットしてしまったことに、やりきれない気持ちを抱いていたのでしょうね。
『上を向いて歩こう』が大ヒットしている頃、永さんがいつものように僕のタバコの箱から1本抜き取って、黙って深く吸い込んだときのことが忘れられません。
知人の女性によると、実は永さんは内緒でカバンにはタバコを忍ばせていたそうです。その女性が「ひとりぼっちの夜には永さんはきっとあんなふうにタバコを吸って星を眺めていたんだと思うわ」と言うのを聞いて、僕もそうだろうなと納得しました。
※週刊ポスト2021年9月10日号