娘の辺見えみりも心配しているという
数値が急変したのは、がんが背中や胸の広範囲に転移していたからだった。
「もう74才まで生きたんだ。あとは静かに面白おかしく暮らせって思うでしょ。でもね、まだやりたいことがたくさんあるんだよ。願いはただひとつ。なんとか、もう少しだけ好きな仕事をさせてほしい」(西郷のYouTubeより)
もう少しだけ――そう願うのには理由があった。彼は2人の兄を背負って生きてきたからだ。
「西郷さんは、3人兄弟の末っ子なんですよ」
古くから西郷を知る人物がぽつりぽつりと話す。
「2人のお兄さんはどちらも、若くして亡くなっているんです。2才年上のお兄さんは、西郷さんが9才のときに、海で熱中症になって命を落としてしまった。運動神経が抜群で人気者だったそうです」(西郷の知人)
5才年上の長兄はジャズが好きで、ドラムが上手だった。西郷はこの兄の影響で音楽に興味を持った。
「そのいちばん上のお兄さんも、西郷さんが15才のときに亡くなってしまった。仲間と釣りに出かけた際、船の事故で命を落としたそうです」
西郷が歌手を目指して家出をしたのは、その直後のことだった。そして、バンドの下働きをしながら歌手デビューをつかみ取る。
「西郷さんは、夢半ばにして亡くなった2人のお兄さんの分まで生きてやりたい、という思いが強いんです。だから、74才だってまだまだ生き足りないのだと思います」(前出・西郷の知人)
基本的には薬剤を打つだけ
ステージ4を宣告された際、国内での標準治療はすべて受けてしまっていた。そこで、日本で未承認の治療法を見つけ、一縷の望みをつないだ。
選んだのは「PSMA治療」というもの。オーストラリアに滞在しながら、3回にわたって注射による薬の投与を行うという。前立腺がんの治療に詳しい、くぼたクリニック松戸五香の泌尿器科専門医・窪田徹矢さんが解説する。