大西氏は、「マスクをする、しないは本来自由に選ぶべきこと」と語る。
「こういう社会状況だと、どうしてもある程度の我慢や協力は必要になってきますが、マスクをする、しないは本来自由に選ぶべきことです。もともと誰もがマスクなしで生活していたのですから、マスク着用に不満が出ること自体は当然です。かつて足尾銅山では、有毒な粉塵が舞っているにもかかわらず、やはり支給されたマスクを嫌がる労働者がいました。人間の感情とは、今も昔も変わらないのです。
情報を正しく解説するには時間がかかります。そのため、『とにかく不織布マスクをしなさい』のような手っ取り早い警句が広がり、強制のような空気が強まってしまう。感染成立の3つの要素を知れば、『マスクを着けない』という一点だけで他人を責めることがいかに無意味であるか、わかると思います。
有名人のSNSの発信の影響力は、非常に大きいし話題になりやすい。そういう賛否両論がある中で、まず両者ともに『マスクがどういうものか』を理解して不安を取り除いていただきたいです。そして、社会全体のマナーとして、複数の感染対策を同時に行うことの協力をお願いしたいです」(大西氏)
もちろん、感染防止対策においてマスクは非常に重要なアイテムだ。しかし、マスクを着けていないことを厳しく糾弾する「マスク警察」に違和感を示す声が多いのもまた事実。マスク着用をめぐって暴力沙汰に発展した例もあり、マスクをめぐって人々の分断が進んでいると言っても過言ではない。
大西氏も指摘する通り、高橋メアリージュンの投稿が巻き起こしたようなマスクをめぐる対立の背景には、知識不足も関係している。むやみにマスクを忌避するよりも、むやみにノーマスクを糾弾するよりも、まずは正しい知識を身につけることが大切だ。
◆取材・文/原田イチボ(HEW)