「他人のお金をなんだと思ってんのか」
男女ともに種類は違うけれど、二十代の未熟な時期に「強烈に欲される」という毒を味わっているのだ。その毒によって身に付く傲慢さは、今風にいい変えれば自己肯定感であり、明るさでもある。能天気ともいう。
「日本はいまだにバブルに後遺症から抜け出せていない」といい切るのは作家の長倉顕太さんだ。彼もまた就職氷河期と呼ばれる世代である。先日、自著『バブル、盆に返らず』に関した長倉さんとのトークイベントがあった。
「バブル世代が嫌われるのって、やっぱり能天気だからでしょうか」
私が自虐的にいったところ、こんな答えが返ってきた。
「楽天的とかいうのではなくて、あの人たちを見ていると、他人のお金をなんだと思ってんのか、っていいたくなりますね」
バブル世代は税金なり経費なりでさんざん好き勝手やってきて、時代が変わってもその感覚が抜けていない、とっくにそういうことが通用しない世の中になっているのに金銭感覚が「どうせ他人の金」のままだというのだ。具体的に弱点を指摘され、私は返す言葉もなかった。
「そういう時代」だった。
私がいた雑誌の世界では、編集者は街に出て遊んで、そこで体験した情報や感覚で企画を考えるのが良しとされていた。遊ぶ代金は当然、経費。他人の金だとしても、豪快に遊んでいる人がかっこいいというのがあの時代の感覚だった。
真偽の程は確かではないけれど、いまだに語り継がれるエピソードがある。ある雑誌のアフリカ・ロケがあり、スタッフが経費を精算したところ、どうしても数字が合わない。仕方なく、葉っぱに象一頭300万円と書いて経理に提出したら、それが通ってしまったというものだ。武勇伝として何度も聞いた話だが、金額は話す人によって違い、50万円のこともあれば、100万円だったり300万円だったりした。どんぶり勘定にも程がある。
こういう豪快さの自慢もバブル世代が嫌われる原因なのだろうなあ。
◇甘糟りり子(あまかす・りりこ)
1964年、神奈川県横浜市出身。作家。ファッションやグルメ、車等に精通し、都会の輝きや女性の生き方を描く小説やエッセイが好評。著書に『エストロゲン』(小学館)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)など。最新刊『バブル、盆に返らず』(光文社)では、バブルに沸いた当時の空気感を自身の体験を元に豊富なエピソードとともに綴っている。