現在はコロナ対策をしながらオープンガーデンを運営中。マスクに花柄を付けるのが森田さんのマイルール
夫の胃がんは末期であり手術や積極的な治療は見込めない状態だったが、本人にその事実は伏せられ、武さんは「早期発見のため自宅通院」という医師の言葉を信じ、最後まで畑に出続けた。
「食欲もあって元気だったし、入れ替わり立ち替わりやってくる娘や孫たちに、これまでに見たことがないような笑顔で野菜作りを教えていました。病気であることが嘘のような、穏やかな時間でした」
しかしその幸せは長くは続かず、発見からわずか1か月後に武さんは亡くなった。息を引き取る3日前も土仕事をしていたという。森田さんは最愛の夫の突然の死に大きなショックを受け、喪失感に襲われた。
「もう、どん底でした。ずっと仲がよかったから、夜中にハッと目が覚めて隣に夫がいないと、『ああ、夢じゃないんだ。お父さんはもういないんだ』と思って、寝床から起き上がることもできなかった。本当に悲しくて、1か月は泣いてばかりの毎日でしたね」
年を重ねるうちに、誰しも大切な家族と死別する可能性が増していく。いうまでもなく、ほとんどの場合、その別離には大きな苦しみが伴う。
配偶者を亡くすことは、心理学上、最大のストレスだと語るのは、シニア産業カウンセラーの青木羊耳さんだ。90才にして、高齢者とともに生きがいを模索する現役のカウンセラーとして活躍する青木さんもまた、妻に先立たれる苦しみを経験した1人だ。
「2020年5月に旅立った妻はALS(筋萎縮性側索硬化症)という筋肉が少しずつ衰える難病でした。死後しばらくは悲しみに耐えられず、詩人の高村光太郎が亡き妻・智恵子のためにつくった詩を読みながら、いつまでも泣いていました」(青木さん・以下同)
妻の死後、ひとり心を閉ざして塞ぎ込んでいた青木さんだが、時が経つにつれ「この悲しみを直視しよう」と考えるようになった。
「こんな状態でいるのを妻が見たら悲しむだろうと思ったんです。だから、つらい気持ちから逃げるのではなく、むしろ配偶者を失った悲しみに飛び込んで、徹底的に向き合おうと心に決めたんです。
妻が体調を崩してからの7か月間、自分がどんな思いで介護していたかを克明に書き残す作業を始めました。私の日記や医師からもらった紹介状などを見直して、記憶をたどってコツコツと書いていったんです。
別のことをして悲しみを紛らわすのではなく、むしろ悲しみに飛び込んでいこうと思ったんですね。妻との最後の日々を記録に残すことで悲しみを再体験すると、気持ちが整理されて落ち着きました」