國村にとって転機となるのが、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)でオーディションを経て役を得たことだ。松田優作、高倉健など名だたる俳優とともに渡米し、撮影に挑んだ。1か月ほど滞在したロサンゼルスでは、松田に連れられて食事に出かけ、様々な話をしたという。
〈内容はほぼ仕事のことで、「主役のときも脇役のときもあるが、主役俳優、脇役俳優がいるわけじゃない。俳優はみな俳優だ」「真ん中(主役)をやるときは、何もするな。周囲がやりやすいようにしろ」など、役者としてのあり方を教わったような気がします〉(『週刊現代』2017年3月11日号)
これを契機に、國村には海外からのオファーも届くようになる。1990年代には一時香港で暮らし、『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』(1992年)など香港映画に出演。ハリウッドの大ヒット作『キル・ビル』(2003年)では、クエンティン・タランティーノ監督からの直々のオファーを受けた。2016年には韓国のナ・ホンジン監督の『哭声/コクソン』で山の中を褌一枚で這い回る“よそ者”を演じ、韓国の青龍映画賞で外国人初の男優助演賞を受賞した。
(後編〈國村隼の役作りの美学 「日本のモーガン・フリーマン」との評も〉に続く)
※週刊ポスト2021年11月5日号