松田優作一覧

【松田優作】に関するニュースを集めたページです。

松田翔太と秋元梢がすれ違い
松田翔太&秋元梢がすれ違い生活 背景に「お互いの強すぎる実家愛」
 家庭内感染や無用な衝突を避けるために、コロナ禍で“別居”を選択する夫婦は少なくない。芸能界で「世紀の二世夫婦」と呼ばれた松田翔太(36才)と秋元梢(34才)もコロナを機に距離を置きはじめたが、すれ違いの日々が続いて──。 4月半ば、大樹がそびえ立つ新緑に満ちた庭園で、一組の男女が永遠の愛を誓った。タキシード姿が凜々しい新郎は松田龍平(39才)。レースをあしらった可憐なドレスを身にまとう新婦は、モーガン茉愛羅(24才)である。この日、都内の会員制レストランで行われたふたりの披露宴には、芸能界の友人らが招かれた。著名なアーティスト、モデル、俳優の中には龍平の弟の松田翔太ら“松田ファミリー”の面々も顔を揃えていた。 だが、家族の門出を祝う場に、2018年に結婚した翔太の妻・秋元梢の姿が見当たらない。翔太の仕事関係者が声を潜める。「実は、ふたりは最近、距離を置いて生活しているようなんです。翔太さんが周囲に『けんかが絶えず、別々に暮らしている』と漏らしたこともありました」 披露宴から半月ほどが過ぎた5月初旬、梢はひとりで自宅を出た。自家製の梅酒が入った瓶を携えて、タクシーで向かったのは下町にある梢の実家、九重部屋だった。「最近、実家の近くで梢さんの姿を見かけるようになりました。よくお姉さんと外出されていますよ」(近所の人) 一方の翔太が最近、頻繁に出入りしているのが、3年ほど前に設立し、翔太が代表取締役を務める会社のオフィスだ。梢と同じく、自宅に戻らない日も多いという。いまなおファンの多い名優の松田優作さん(享年40)を父に持つ翔太と、「ウルフ」と呼ばれた大横綱・千代の富士関(先代九重親方)の愛娘である梢。「世紀の二世夫婦」と呼ばれたふたりに、何があったのか──。妻に「敬語を使ってほしい」 ふたりの交際が公になったのは2014年頃。当時から、梢は世界に通用するモデルとしての実績を積んでいた。「梢さんは理想の男性像に“父より強い人”を挙げるほど、父親思いの娘さんでした。翔太さんを紹介された九重親方は『いい男を連れてきたな』と手放しで喜んでいたそうです。すい臓がんを患った後も親方は、ふたりのことを気にかけて、梢さんにはしっかりとした結婚式を挙げてほしいと望んでいたといいます」(角界関係者) 親方は愛娘の晴れ姿を見ることなく2016年7月にこの世を去り、喪に服した後で、ふたりは親方の言いつけを守るかのように都内の神社で盛大な式を開いた。この結婚は互いの家族はもちろん世間からも祝福された。「『嘘はつかない』、『記念日は一緒に過ごす』などをルールとしたふたりのフラットな関係性は自然体で好感度が高く、理想の夫婦ランキングに名を連ねるほどでした」(芸能関係者) しかし、実は結婚直後からふたりの間には微妙な空気が漂いはじめていたようだ。「結婚後まもなくすると、翔太さんが、“俺様気質”を隠さなくなったというんです。梢さんが驚いたと言っていたのは、翔太さんから『敬語を使ってほしい』と言われたこと。“夫を立てて”という意味だったのかもしれませんが、梢さんは困惑していましたね」(梢の知人) 翔太のそうした姿勢は、父親を意識してのことなのかもしれない。翔太の母・松田美由紀(60才)は2019年に出演したバラエティー番組で亡き夫との関係についてこう語っていた。《「(優作さんは)めちゃめちゃ亭主関白で、何もしてくれなかった(中略)帰ってきたら三つ指ついて「おかえり」とかってやってましたし、何気にいい奥さんだったと思います》 優作さんが亡くなったとき翔太はまだ4才だったが、幼い頃から父親は常に強く意識する存在だったという。「子供の頃から、自分の周囲が“松田優作の息子”にどのような振る舞いを求めているのかということに敏感だったといいます。小学生の頃からブランド物を愛用し、プライベートでも役者としても常に父親と向き合い、周囲から聞かされる優作さんの話に大きな影響を受けていました」(松田家の知人) 一方の梢も、力士として初めて国民栄誉賞を受賞した父を誇りに思い、大横綱の娘として振る舞ってきた。モデルとしては“格上”の梢が、翔太に意見することもあったという。「梢さんはブランドやスタイリングに強いこだわりがあるかたです。かつて、翔太さんのモデルの仕事にも細かいアドバイスをしたことがあり、翔太さんが不機嫌になってしまったといいます」(ファッション誌関係者)「これからも松田家をよろしく」 松田家の強い結束力が、妻にとっては大きなプレッシャーになることもあったという。優作さんという大黒柱を失った後、一家を支えてきたのは美由紀だった。3人の子供を女手ひとつで育て、現在は彼らの所属事務所の社長でもある“ゴッドマザー”は、ファミリーにとっては絶対的な存在だった。4月の龍平と茉愛羅の結婚式も、招待客や席次は新郎側の意向で大半が決められたという。「完全非公開としたのも松田家の意向で、マスコミもシャットアウトしていました。2度目の結婚である龍平さんはまだしも、初婚の茉愛羅さんは戸惑う部分があったのでは……」(龍平の知人) その絆は、きょうだいの間でもゆるがない。「かつて、龍平さんの誕生日パーティーで翔太さんが“これからも松田家をよろしく”とスピーチをしたことがありました。兄ではなく“松田家を”というところが、実家を大事にする翔太さんらしい言い方でした」(前出・龍平の知人) そうした現実が、ふたりの意識を変えたのだろうか。「翔太さんは、どうしても美由紀さんと梢さんを比べてしまうところがあるといいます。妻としては、義母と比べられることほどつらいことはありません。龍平さんの前妻も、松田家に溶け込むことができなかったことが離婚の一因ともいわれています。お互いに我が強いふたりゆえ、けんかも増えていったそうです」(前出・松田家の知人) 今年1月、翔太は新型コロナに感染したことを発表し、10日間の自宅療養を余儀なくされた。だが、離れて暮らしていた梢は“濃厚接触者”とならずに済み、翌日からトークショーに出演するなどして仕事を続けていた。2018年4月、実家の母と兄が設立した会社がアパレル業を展開し、千代の富士グッズを販売するようになると、梢もファミリービジネスを積極的に手伝うようになったという。翔太が個人で会社を設立したのも同じ頃だ。「翔太さんはアパレルや飲食店の経営にも興味があるようで、現在までに2つの会社を立ち上げています。もちろん美由紀さんの許可、サポートを得ているはずです。夫婦共にやりたいことのために多忙で、すれ違う時間が増えたのでしょう。妻や夫に頼らなくても、互いに強力な“実家”というバックアップがあることも、現状の夫婦関係に影響していると思います」(翔太の知人) すれ違い続きのふたりだが、梢の父も、現役引退後は地方巡業や新弟子探しのために家を空けることが多かった。「家族の仲がいいのは、自分が年の半分も帰らないからだよと、よく笑って話していました」(前出・角界関係者) 離れて暮らしても、SNSではお互いに「いいね!」をし合うふたり。それもまたニューノーマル時代の夫婦のあり方なのかもしれない。※女性セブン2022年6月9日号
2022.05.26 06:00
女性セブン
『もういちど、あなたと食べたい』著・筒井ともみ
【書評】松田優作、向田邦子、樹木希林…亡き人の思い出を食と共に語る
【書評】『もういちど、あなたと食べたい』/筒井ともみ・著/新潮社/2200円【書評】川本三郎(評論家) 巷にあふれる食のエッセイのなかでも本書は希有の面白い魅力を持っている。いまは亡き人の思い出を食と共に語る。あの大事な先輩たちと何を食べたか。おいしい食事と共にいまも忘れられない故人を偲ぶ。食と死が優しく溶け合い、食の書であると同時に、思いのこもったみごとな追悼記になっている。 映画「それから」「失楽園」「阿修羅のごとく」、テレビドラマ「小石川の家」「センセイの鞄」などで知られる脚本家が、これまで一緒に仕事をしてきた、また人生で教えられることの多かった先輩や同世代の友人たちを食と共に思い出してゆく。 食と死が合わさっている。こういう食の本は珍しい。食(生きる)とは死とつながるかけがえのない儀式なのだと思い知らされる。加藤治子と食べた蕎麦がき(おかちん)、松田優作と共にしたにぎり寿司、深作欣二が好きだったキムチ鍋、北林谷栄に振舞われた宅配のピザ、和田勉と松本清張と緊張しながら食したもずく雑炊。 次々においしそうな食と、それで思い出される先輩たちのことが語られてゆく。食のエッセイであると同時にみごとな人物スケッチになっている。打合わせで、松田優作は端的にいう。「仕事の話だ。モノは漱石の『それから』。森田(芳光)が撮って、俺が出る」。うーん、みごと。無駄がない。その松田優作が寿司をつまむ指が美しい。 一方、「それから」を監督する森田芳光は会った瞬間にいう。「明治は新しい」。これもうなる。著者の名付親だった名撮影監督宮島義勇(「人間の條件」)、心の師と慕った脚本家、野上龍雄、いい先人たちに恵まれている。さらに同時代を生きた向田邦子、樹木希林、あるいは佐野洋子。 すぐれた人との交流に羨しくなる。まさに才能は才能が知る。伯父は名優の信欣三。伯母は名女優といわれながら心を病んでしまった赤木蘭子。両親は著者が子供の頃に離婚した。家族のことを語る終章が泣かせる。※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.10 16:00
週刊ポスト
日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』TBS系毎週日曜よる9時放送中(C)TBS
國村隼の魅力 『日本沈没』でも好演、世界から求められるその強面
 鋭い眼光に渋みのある声──。その“強面”で極悪非道のヤクザから朗らかな父親、はたまた宇宙人まで、幅広い役柄を演じてきた。40年前の映画デビューから国内外でオファーが絶えることのない俳優・國村隼(65)の凄さはどこにあるのか──。(前後編の前編)松田優作とハリウッドへ この人が出ているだけで、何かありそうな想像が膨らんでくる。 放送中の日曜劇場『日本沈没-希望のひと-』(TBS系)で地球物理学の最高権威である世良徹教授を演じる國村隼だ。 同作では、かつての後輩である日本地球物理学会の異端児、香川照之演じる田所雄介が訴える関東沈没の可能性を、世良教授は真っ向から否定していた。しかし、ついに小栗旬演じる環境省の官僚からデータ偽装を厳しく追及されると、初めて感情を露わにする。 豪華俳優陣のなかでも、怪演ぶりが際立つ香川と、その語り口や目線だけで存在感を放つ國村というベテラン俳優の演技のコントラストがはやくも話題となっている。 國村が光っているのはテレビだけではない。 公開中の米ハリウッド俳優のジョニー・デップ製作・主演の映画『MINAMATA-ミナマタ-』でも、國村は水俣病の原因となった企業・チッソの社長ノジマとして出演している。「典型的な悪徳社長にはしたくなかった」という製作陣の狙いに、國村が見事に応えたという。英語を交えてジョニーと敵対するシーンも堂々と演じぬいた。 これまで100を超える映画に出演してきた國村だが、俳優デビューは決して早くはない。 大阪で育った國村は、府立高専へ進むも4年で中途退学、友人に勧められて劇団の研究所に入る。そうして20代半ばに『ガキ帝国』(1981年)で映画デビューを果たす。主人公(島田紳助・松本竜介)と対立する不良グループのリーダー役だった。「國村君は小生意気な顔をしているというか、ちょっと拗ねた大人顔をしていたね。それがリーダー感があるなと思ってリーダー役にしたんだよ」 そう語るのは、同作の井筒和幸監督だ。低予算でゲリラ的な撮影を敢行していた当時を振り返る。「役者っていうのは『お前、わかってるな』というのと『わかってねーな』というのとどちらかで、こればかりは天性のものだけど、國村君はちゃんとわかってる奴だった。いつも考え込むような顔をしているからヤクザよりむしろ気むずかしいバーテンダーとかクセのある官僚や政治家とかのほうが向いていると思ったね。まぁ正直言って、当時は名前なんて覚えてないくらいでしたがね」 國村にとって転機となるのが、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)でオーディションを経て役を得たことだ。松田優作、高倉健など名だたる俳優とともに渡米し、撮影に挑んだ。1か月ほど滞在したロサンゼルスでは、松田に連れられて食事に出かけ、様々な話をしたという。〈内容はほぼ仕事のことで、「主役のときも脇役のときもあるが、主役俳優、脇役俳優がいるわけじゃない。俳優はみな俳優だ」「真ん中(主役)をやるときは、何もするな。周囲がやりやすいようにしろ」など、役者としてのあり方を教わったような気がします〉(『週刊現代』2017年3月11日号) これを契機に、國村には海外からのオファーも届くようになる。1990年代には一時香港で暮らし、『ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌』(1992年)など香港映画に出演。ハリウッドの大ヒット作『キル・ビル』(2003年)では、クエンティン・タランティーノ監督からの直々のオファーを受けた。2016年には韓国のナ・ホンジン監督の『哭声/コクソン』で山の中を褌一枚で這い回る“よそ者”を演じ、韓国の青龍映画賞で外国人初の男優助演賞を受賞した。(後編〈國村隼の役作りの美学 「日本のモーガン・フリーマン」との評も〉に続く)※週刊ポスト2021年11月5日号
2021.10.25 07:00
週刊ポスト
「杉下右京」に出会うまでの道のりは?(時事通信フォト)
水谷豊、苦節の時代 「スターの相棒」が「杉下右京」に出会うまで
 水谷豊(69)が主演を務めるドラマ『相棒』(テレビ朝日系)が、「season20」の節目を迎えた。今でこそ「杉下右京」のイメージが定着した水谷だが、そこに行き着くまでには、長くスターの横で彼らの輝きを“引き立てる”苦節の時代があった。 今でこそ名優としての地位を不動にした水谷だが、その俳優人生は浮き沈みの連続だった。 水谷は根っからの俳優志望ではなかった。13歳の時に劇団ひまわりに入団し、子役として活躍したが、それは子供時代の一時の好奇心に過ぎなかったという。 実際、16歳で手塚治虫の漫画を原作とするドラマ『バンパイヤ』(フジテレビ系)の主人公に抜擢され、18歳で映画『その人は女教師』に出演したが、その年にあっさりと芸能界からフェードアウトする。 しかし、大学受験に失敗した後、家出して公園で野宿したり、住み込みでアルバイトをしたりしていた20歳の頃に、かつての知人に促されて稼ぎのために俳優として復帰することになった。 アルバイト感覚で始めた水谷だったが、本人の意思とは裏腹にオファーが殺到した。 ドラマ『太陽にほえろ!』(1972年・日本テレビ系)の記念すべき第1話で演じた犯人役もそのひとつだった。同作を手がけた元日本テレビプロデューサーの岡田晋吉氏が振り返る。「わかりやすい悪人ではなく、複雑な背景や人物像を演じられる若い役者が必要だった。そこでかねてから仕事をしたいと思っていた水谷君を起用することにしました。彼は若いけれど、芝居の上手さは抜群でしたから」『太陽にほえろ!』にはその後も度々犯人役としてゲスト出演し、刑事役のショーケンこと萩原健一や松田優作とも共演した。岡田氏によれば、起用にはこんな狙いもあったという。「ショーケンにしろ優作にしろ、当時はまだ俳優としての経験が少なかった。水谷君は年齢こそ2人より少し下ですが、役者としてのキャリアは長い。だから現場で彼らをサポートしてもらおうと思ったんです。 とくに優作の場合は、水谷君に『頼むよ』とリードしてもらっていました。撮影現場でカチンコが鳴ってから演技を始めるタイミング、石原裕次郎をはじめ大物俳優と一緒に仕事をしていく上での振る舞い方など、役者入門のガイドのような役割をこなしてくれましたね」(岡田氏) 優作とは初共演で意気投合し、暇さえあればつるんで遊んでいた。 それでも、スター俳優として眩い輝きを放ったショーケンや優作とは違い、水谷自身が脚光を浴びることはなかった。 好機が巡ってきたのは、ショーケンの弟分・アキラを演じたドラマ『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系)だった。独特のイントネーションで「ア~ニキ~」と言いながらショーケンについて回る、ちょっと情けない水谷の不良役は、コミカルな中にも孤独と屈折を感じさせる演技で話題を呼んだ。 共演したホーン・ユキ(70)は、撮影現場での水谷の印象をこう語る。「やんちゃな若者という感じでしたね。よく覚えているのは“スカートめくり”。あの頃はスカートめくりが流行っていて、撮影の合間に水谷さんが近づいてきて、パッと私のスカートをめくり上げると、キャッキャと逃げていく。それを萩原さんや監督さんたちがゲラゲラ笑って見ているんです。今思えばたぶん、兄貴分の萩原さんがやらせたんでしょうね。 だけど、そんないたずらっぽさの一方で、緻密に考え抜いてキャラクターを作り上げていく真面目さもあった。もしかしたらスカートめくりも、役に合わせて勇気を振り絞ってやっていたことなのかもしれません」『傷だらけの天使』の放送直後には、アキラのリーゼントを真似る若者が急増するなど、ショーケンに並ぶ人気を得たが、「当時の水谷君には複雑な思いもあったのではないか」と、当作にも企画として携わった岡田氏は推し量る。「アキラ役を演じてもらった経緯は、ショーケンが『相手役は水谷君がいい』と提案してきたからなのですが、こちらとしては、ショーケンが現場で多少わがままに振る舞っても、水谷君がいれば上手くこなしてくれるだろうという考えもありました。 水谷君にとっては、またしてもサブみたいな役どころは嬉しくなかったかもしれない。自分が主役をやりたいという気持ちも抱えていたんじゃないかな。実際、キャリア的にもそろそろ主演を務める時期にきていたし、いつまでもショーケンや優作を仰ぎ見るポジションに甘んじていることは、本意ではなかったと思う」(岡田氏)1番ショート 雌伏の時期もあった水谷が大きな「主役」を勝ち取ったのが、1978年のドラマ『熱中時代』(日本テレビ系)だ。 役どころはアキラとはまったく違う、真面目で朴訥な小学校の新米教師・北野広大。熱血漢で底抜けに明るい北野先生は子供から大人まで魅了し、最高視聴率は46.7%を記録した。 お茶の間が文字通り“熱中”し、北野先生に憧れて教師を志すようになった子供や若者も少なくなかった。劇中、警察官役として共演していた谷隼人(75)が語る。「厳しくて細かい演出家の要望を、遥かに超えるような演技でこなしていく。小回りがきくし、本当に上手いなあ~と感心しましたね。子供たちに呼びかける時の『先生はね~』という独特のセリフ回しをはじめ、北野広大という教師のキャラクターをしっかり作り込んでいた。 僕は喧嘩仲間のお巡りさん役で、豊ちゃんとはやり合うシーンが多く、丁々発止のやり取りは演じていても楽しかったですね。僕が豊ちゃんの肩に手をかけると、豊ちゃんがその手をパッと外す。打てば響くというか、タイミングとかリズム感がすごく良かった。 ゴールデンタイムのドラマ主演ということで、もちろん気合は入っていたと思うけど、そういう素振りは少しも見せない。気迫は感じさせても、気負いは決して見せないところが豊ちゃんの凄いところです」 谷はショーケンや優作と水谷を比較して、こう続ける。「2人は野球にたとえるなら4番DHみたいな存在。一方、豊ちゃんは1番ショート。守備も上手くて盗塁もする。ホームランもそこそこ打つけど、打率をしっかり残す。主役だけど共演相手にも光を当てて、活かすことができる。今の『相棒』にもどこか通じていますよね」 先輩であり親友だった岸田森(享年43)は、当時の水谷についてこう語っていた。〈豊は常に、極限、極限の連続で生きている男です。こんなに極限、極限で生きていたんでは、最終的に自殺する可能性さえあると思うんですよ〉(『微笑』1979年2月24日号)見つけ出した役者像『熱中時代』を経て、役者としてのキャリアに花を咲かせた水谷だが、その後はしばらく大役から離れる時期が続いた。 極限まで役作りに没入する性格上、立て続けに仕事を入れることはなく、ひとつの仕事が終わるたびに長期休暇を取ることが珍しくなかった。 水谷の中では、『熱中時代』のブレイクすら自分の求めたものではなかったという。かつて『non-no』(1981年10月20日号)のインタビューで、同作が消化不良だったと明かした上でこう語っている。〈大体僕は普段から楽になりたぁい、楽になりたぁーいと思ってますからね、心身ともに。(中略)かるーくやりたいという気持ちがあるんですよ〉 多忙な芸能活動からしばらく距離を置いた水谷が、再びスポットライトを浴びるきっかけになったのが、47歳で出会った『相棒』だったのだ。2016年まで『相棒』シリーズの演出を務めた映画監督の和泉聖治氏が語る。「右京のキャラクターもあるけど、緊張感を与えない大御所って、この業界では珍しいんですよね。武闘派の萩原健一さん、無頼派の松田優作さんと、昭和のスターはみな周囲に威圧感と緊張感を与える存在でした。でも、豊さんは違う。張り詰めたものを一切感じさせない。あの空気感は唯一無二です。 萩原さんと松田さんを間近で見て、2人が亡くなった今でも一線でやっている同年代の役者は豊さんだけ。自分だけの役者像をようやく見つけ出したのかな。豊さんの“いつまでも変わらないテンション”がある限り、『相棒』シリーズはこれからも続いていくと思います」 冷静沈着に犯人を追い詰める右京は、水谷の半生があってこそ生まれたものだった。※週刊ポスト2021年10月29日号
2021.10.20 07:00
週刊ポスト
鈴木亮平の魅力はどこからくるのか(写真/共同通信社)
鈴木亮平、救命医からヤクザまで演じる凄み 監督、共演者らが明かす
「なんもかんも、ぶっ壊れりゃあええんじゃい!」。ドスの利いた広島弁をまくし立てながら、カタギも親分も見境なし。アイスピックを頭に突き刺し、目玉を抉り取り、生きたまま火をつける、暴虐と殺戮の限りを尽くすヤクザの組長──公開中の映画『孤狼の血 LEVEL2』の鈴木亮平(38)に観客が騒然としている。 鈴木と言えば、7月クールのドラマ『TOKYO MER~走る緊急救命室~』(TBS系)で患者の治療に命をかけるまっすぐな救急救命医を演じたばかり。9月12日の最終回では妹の命を奪った宿敵まで救う、どこまでも愚直な姿勢が視聴者の胸を打ち、平均視聴率19.5%を記録した。〈勇気、希望、元気、全てをもらった〉〈映画化を希望します〉 放送終了後、SNSには視聴者の絶賛コメントが溢れた。鈴木はその裏で、銀幕に焼き付くほどの血まみれの狂気を見せているのだ。「心の底から絶叫した」「すごい振り幅ですよね」 そう言って笑うのは、『孤狼の血』シリーズでメガホンを取る白石和彌監督(46)。広島県を舞台に暴力団と警察の血みどろの戦いを描いた同作で、ヤクザの組長・上林成浩を演じた鈴木の役作りに驚かされたという。「とにかく役の入れ込みを始めるのが早い。方言のある台本の場合、2か月前くらいに方言のテープを作って役者さんに渡すのが通例です。上林は広島弁ですが、亮平君は撮影に入る半年前には台本に書いてある広島弁は全てマスターしていた。 もう一つ驚いたのは、作中に出てこない、前作で殺された親分と上林の関係性を考察し、“こうですか”と直接問い合わせてくれたこと。親分と出会ってから今に至るまでの極めて細かい設定を、彼なりに作り上げているんです。私自身はそこまで深く設定を考えていたわけではなかったので、亮平君のおかげで上林の狂気に深みが出ました。 劇中で坊主にする時も、“やります”と即答。次の仕事は大丈夫かと聞くと、“なんとかしますよ”とニヤリと笑うんです。頭が下がりますよ」 劇中で鈴木に惨殺されるピアノ講師を演じた筧美和子(27)は、目の当たりにした彼の演技についてこう話す。「どんな痛みがあるのか、体はどのようにこわばり、震え、どんな声で叫び声をあげるのか、撮影前は頭の中で何度も何度もシミュレーションをしました。そうして臨んだ本番だったのですが、想像以上に恐ろしい鈴木さんの言葉、表情、そして目に見えない殺気を感じ、心の底から沸き上がった絶叫でした。 鈴木さんに呼応するように私の苦しみもリアルなものになったと思います。鈴木さんの本気の芝居が共演者の芝居のレベルすら上げてしまう。得がたい体験をさせていただきました。 でもカメラがないところでは本当に優しくて常に気遣ってくださいました。私もこんな役者になりたいと思わされました」「昭和の役者」の匂い 鈴木の徹底した役作りが遺憾なく発揮されたのが、2018年のNHK大河ドラマ『西郷どん』だ。若き日のスマートな「西郷吉之助」から晩年の恰幅のいい「西郷さん」まで、体重を自在に増減させて演じきった。『西郷どん』で西郷隆盛の祖父を演じた大村崑(89)は、鈴木に昔気質の役者魂を見たと話す。「初めての本読み(セリフ合わせ)の場で、僕は時代背景を考えて浴衣を着て、雪駄を履き、カンカン帽を被って行ったんです。若い役者さんたちは、本読み段階はみんな半パンやGパン、それも破れたような格好で来る。立ち稽古でもそんな恰好だったりね。でも、僕は、昔の役者さんは本読みでも本気だったということを見せたかった。 すると亮平君だけが、翌日の本読みから黒の浴衣を着て出てくるようになったんです。僕は彼にもスタッフにも何も言っていなかったんですが、僕の意図するところを彼だけがすぐにくみ取ってくれた。座長の亮平君が浴衣を着るようになると、全役者が子役に至るまで浴衣で本読みをするようになりました。彼には“昭和の役者”の匂いを感じました」 そんな大村は、自身の最後の収録のことが忘れられないという。「僕は7話目に死んじゃうんですが、収録後に亮平君から花束をいただきました。その時、“じじい、短い期間でしたが、ありがとうね。じじいがいなくなると寂しい。私生活では長生きしてくださいね”といってハグしてくれた。その瞬間、涙がドカンと出ましたよ。 撮影には次男が立ち会っていたんですが、“お父さん、いい孫ができてよかったね”と。そう言わせるほどの雰囲気を持った役者でした」(大村) 原作者の林真理子氏(67)も、「吉之助が鈴木さんで良かった」と話す。「当時は“まだ大河の主役は早いのでは”という雰囲気もありましたが、思い描く通りの西郷さんでした。難しい役だったと思いますが、無邪気な若者時代から、やがて国の維新を背負うようになり、最後の西南戦争に突き進んでいく苦悩まで、とても上手く表現されていた。 国の重要人物になっても、ニコッと笑って人を惹きつける、西郷のキャラクターを見事に演じていました。島津斉彬役の渡辺謙さんにアドバイスをもらうなどいろいろなことを吸収されたようですが、『西郷どん』を機に俳優としてすごく飛躍されたと感じます。 そうそう、『西郷どん』がきっかけで何度かお目にかかり、2018年に私が紫綬褒章をいただいた時はお祝いの席にも駆け付けてくれて、ギターを弾いてくれました」1か月半で30kg増量 2006年に俳優デビューした鈴木は2010年に映画初主演。翌年に一般女性と結婚。下積み時代を経てその名が全国区になったのは2014年のNHK朝ドラ・『花子とアン』だ。吉高由里子演じる主人公・花子の夫役として、脚本・中園ミホ氏の熱烈オファーにより実現した。「『花子とアン』では、奥さんがいながら花子に想いを寄せられるという、朝ドラ的にも難しい役どころでした。でも誠実さと正義感を貫いて、奥さんが長い闘病生活の末に病気で亡くなった後、ようやく花子と結ばれる。男の不器用さを表現した時の彼は、女性から見て本当に魅力的に映る。 前年にはパンツを被り悪を成敗するコメディ映画『HK/変態仮面』の主人公を演じている。あれを本気で演じたことで、制作側からの信頼も大きくなりました」(コラムニストのペリー荻野氏) 役作りのための“肉体改造”も鈴木の真骨頂だ。2015年、ドラマ『天皇の料理番』(TBS系)のために20kg体重を落としたと思ったら、同年の映画『俺物語!!』では一転、“身長2m、体重120kg”という設定のために一気に30kgも増量した。『天皇の料理番』のクランクアップが4月9日、『俺物語!!』のクランクインが5月20日。わずかひと月あまりで劇的な変身を遂げた。 鈴木は自己流でトレーニングプランを作成し、プロテインの摂り方も徹底的に研究したという。映画評論家の町山智浩氏が語る。「鈴木亮平をただ者ではないと思って見始めたのは『天皇の料理番』の時です。やせ細っていく病人としての役柄に合わせて少しずつ体重を減らしていった。声も徐々に細くなっていき、役者としての執念を感じました。『孤狼の血 LEVEL2』でもコンプレックスでずっと隠していた尖った耳を、その悪魔的キャラのためにあえて晒したそうです」 白石監督によれば、「亮平君が自ら揉み上げを剃った写真を、“こんな髪形はどうか”と提案してきた」という。松田優作を超えるか 白石監督は映画『ひとよ』(2019年)でも鈴木を起用したが、その役者バカぶりに感心したと語る。「吃音を持った役だったので、一緒に吃音を研究している大学の先生に会いに行きました。そこから輪を広げて、当事者の方5、6人に会った。お話をするうちに“この方の吃音が役に近い”というイメージが固まったのですが、出会えていなかったら彼はその後もずっと役のイメージに合う方に辿りつくまで探し続けていたと思います。『ひとよ』のクランクインの直前まで、亮平君は『燃えよ剣』(2021年10月15日公開予定)の撮影が入っていたのですが、終わってからでは役作りが間に合わないというので、その前から吃音の練習を始めた。『燃えよ剣』の撮影なのに大丈夫かと聞いたら、“そこは分けて考えられるので大丈夫です”と言っていました」 そんな鈴木には、長年抱いた野望があると、白石監督が明かす。「アメリカ進出です。ある時、彼に東京外国語大学に行った理由を聞いたら、『将来、ハリウッドで芝居をするために、英語がしゃべれる大学に行きました』と話していた。 例えば亮平君は右の眉毛だけ上下に動かすとか、顔の筋肉のこのパーツだけを動かすとか、いろんな技があるのですが、20歳くらいの頃から鏡を見たりしながら訓練していたそうです。 彼曰く、『僕の顔はのっぺりしているから、意識して動かさないと表情がはっきりしない』って。この技術は『孤狼の血 LEVEL2』の上林役でも存分に生かされている。チャンスがきた時のために、できることは全てやっている」 前出の町山氏はこう語る。「『孤狼の血 LEVEL2』でスタントを一切使わずに激しいアクションに挑んだあのガッツと、堪能な英語力。かつて松田優作が『ブラック・レイン』で凶暴なヤクザを演じ世界中を興奮の渦に巻き込みましたが、それ以来のインパクトを残せる日本人俳優は鈴木だけでしょう」 世界のスズキになる日は近い。※週刊ポスト2021年10月1日号
2021.09.22 07:00
週刊ポスト
萩原健一vs松田優作
萩原健一vs松田優作 若者のカリスマだった2人の強烈なライバル心
 刑事ドラマの金字塔『太陽にほえろ!』(日本テレビ・1972年~)でマカロニ役を演じた萩原健一と、1年で殉職したマカロニの後を継いだジーパン役の松田優作。その後、2人は「若者のカリスマ」として、何かと比較される存在となった。昭和の時代を熱く彩ったライバル秘話を振り返る。『太陽にほえろ!』のプロデューサー、岡田晋吉氏によれば、松田は萩原を強烈に意識していたという。「年齢は優作がひとつ年上ですが、すでにザ・テンプターズのボーカリストとして名声のあったショーケンと違い、優作は無名の役者。切羽詰まった思いと、役者としてのプライドから現場でも『新人扱いはやめてくれ』とよく怒っていました。最後は優作のほうから『ショーケンが1年で辞めたなら、僕も1年で辞めたい』と言ってきた」(岡田氏)「なんじゃあ、こりゃあ」というジーパンの殉職シーンは鮮烈で、2人の後『太陽にほえろ!』では刑事が殉職するのがお決まりに。実は殉職というアイデアは、ショーケンからの提案だった。「ショーケンはアドリブで吸っているタバコを道路にポンと捨てたり、ツバを吐いたりするのだが、夜8時台のドラマではそんなシーンは描けない。でもショーケンにはタバコを投げ捨てるところまでが俺の演技だという思いがあって、『悔しさみたいなものが、落ちたタバコにはあるんだ』と主張していた。そういうズレもあって番組を降りたかったのでしょう。降板後、視聴率に貢献したご褒美として、『好きにやっていいよ』と企画したのが、夜10時台の『傷だらけの天使』(日テレ・1974年~)でした。 次々と演技の常識を破るショーケンを意識しないわけにはいかないでしょう。優作の『探偵物語』(日テレ・1979年~)は、自分も『傷だらけの天使』みたいな作品を作りたいという思いが反映された作品です」(同前) 2人と共演経験のあるホーン・ユキは役者としての違いをこう語る。「萩原さんは感性でお芝居をする俳優。一方の優作さんは隅々まで細かい計算をして、視聴者にはアドリブに見えるようにするなど、演技を考え抜く俳優でした。『探偵物語』で私が下着になるシーンでは、私が冷えないように『早くしろよ』と言ってくれるなど、スタッフや共演者に細かい気遣いをしてくれた」 優作がショーケンの軛から抜け出した瞬間を、岡田氏はこう記憶する。「映画『家族ゲーム』(1983年)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を獲得したとき、記念パーティーで私に『僕が賞を獲るとは思わなかったでしょう』と嬉しそうに話しかけてきました。ひとりの役者としての評価を勝ち取ったことを無邪気に喜んでいるようでした」 ショーケンという強烈な個性が、優作というもうひとつの圧倒的個性を生み出した。※週刊ポスト2021年4月30日号
2021.04.17 11:00
週刊ポスト
青島・室井も名コンビだった(左が織田裕二、右が柳葉敏郎。時事通信フォト)
萩原健一&水谷豊、舘ひろし&柴田恭兵… 昭和ドラマの名コンビ
 今も昔も傑作と言われるドラマのジャンルに“バディもの”がある。暑苦しい男同士から異色の男女タッグまで、多様なコンビがドラマを彩ってきた──。 名バディが活躍するドラマの先駆けとして強烈なインパクトを残したのが、木暮修(萩原健一)と乾亨(水谷豊)の『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系)である。 探偵事務所で汚れ仕事ばかりさせられるチンピラ風情の修と、彼を「兄貴」と呼んで慕う亨。その不思議な関係性に当時の若者は夢中になった。同ドラマの大ファンである漫画家の杉作J太郎氏が語る。「放送翌日、学校は『傷だらけの天使』の話題でもちきりでした。行き場を失った“兄貴”と“亨”は組まざるを得ない状況で、お互い依存し合っている。だけどどちらも信じ切ってはいないという奇妙な関係でした。 最終回で、風邪をこじらせて亡くなってしまった亨を風呂に入れて『あったかいだろう』と言いながら、いつも『女を抱きたい』と口にしていた亨の体にヌード写真を貼ってやる。その後、亨の遺体をドラム缶に入れ、リヤカーに載せてごみ処理場に運び捨てて逃げ帰る……。若者のやりきれない挫折を描いたシーンで、今でも伝説です」 他のファンからも懐かしむ声が上がった。「『ア~ニキ~!』って言い方の真似ばかりしていた。亨の情けないけど憎めない感じがすごく好きだった」(60歳会社員)「汚い部屋で、牛乳をこぼしながらガブ飲みし、トマトと缶詰のコンビーフをむさぼり食うオープニングのショーケンの姿はとにかくカッコよかった」(65歳自営業)マツが語る「トミーとオレ」 1970年代に数々の名コンビを生んだのは刑事ドラマだった。 特に支持されたのが、『俺たちの勲章』(1975年・日本テレビ系)の中野祐二(松田優作)と五十嵐貴久(中村雅俊)だ。中野は武闘派で革ジャンにグラサン。後輩の五十嵐は優しくて涙もろく、スリーピースのスーツと、キャラも服装も正反対だった。「街中でドンパチやっちゃうくせに、危なくなるとアラシ(五十嵐)に『お前、先に行けっ!』って(笑い)。ちょっと笑える松田優作が最高でした」(63歳会社員) 同作の企画を務めた日本テレビの元ドラマプロデューサー・岡田晋吉氏が振り返る。「キャラクターが正反対の2人を組ませたら面白いと考えた。“犯人が罪を犯せば、監獄にぶち込める”と考えて行動する優作に対し、雅俊は“被害者を出さないために犯罪を未然に防ぐ”という思いで現場に駆けつける。タイプの違う2人の衝突がウケた」 好対照な関係といえば、『華麗なる刑事』(1977年・フジテレビ系)の高村一平(草刈正雄)と南郷五郎(田中邦衛)も忘れられない。「草刈さんがロサンゼルス市警帰りのエリート刑事、田中さんは鹿児島訛りが強い叩き上げ。これほどハマった“デコボココンビ”はいませんでした」(杉作氏) テレビ文化史を専門とする日本大学名誉教授・こうたきてつや氏が「刑事ドラマにコメディ要素を“初めて意図的に入れた”という点で画期的」と評するのが、岡野富夫(国広富之)と松山進(松崎しげる)の『噂の刑事トミーとマツ』(1979年・TBS系)だ。 松崎しげる氏に話を聞くと、作品名は松崎氏の提案だったと明かす。「オファー時は『噂の刑事』というタイトルでした。しかし、『白バイ野郎ジョン&パンチ』『刑事スタスキー&ハッチ』といった米国の映画やドラマをよく見ていたので、普段から呼ばれていた国広君のトミーと僕のマツを取って『噂の刑事トミーとマツ』にしたら面白いかもって提案したら採用されたんです。国広君とはそれまで面識がなく、最初の1、2話はぎこちなかった。だから彼をよく家に呼んで酒を飲み、いろんな話をしましたよ」「OK、タカ!」 1980年代の空気を体現した作品が、「タカ」こと鷹山敏樹(舘ひろし)と「ユージ」こと大下勇次(柴田恭兵)の『あぶない刑事』(1986年・日本テレビ系)だ。「それまでの刑事ドラマの男臭さを排した軽妙でスタイリッシュなコンビでした。当時は“あなたはタカ派かユージ派か”が大きく話題になりました。私は断然ユージ派。クールでクレバー。射撃と運転が上手いところも憧れました」(テレビ解説者の木村隆志氏) この『あぶ刑事』を手がけたのも前出・岡田氏である。「時代に合わせて、思い切ってコメディに振り切りました。“現実にはありえない設定でもいい”と割り切って、舘君と柴田君の魅力を前面に押し出した。当時、ゴルフをやっていなかった柴田君を舘君が誘ったりして、仲良くやってくれた。そういう人間性を持った役者を使わないと、名コンビは生まれません」「いくぜ、ユージ!」「OK、タカ!」──2人の掛け合いを真似する若者が続出した。 1980年代には刑事ドラマ以外にも2人組の要素が取り入れられた。徳川龍之介(田原俊彦)と榎本英樹(野村宏伸)の『教師びんびん物語』(1988年・フジテレビ系)だ。「『あぶ刑事』と同じように、『榎本~』『先ぱぁ~い』の掛け合いがクセになります。後輩教師である榎本の情けないけど可愛らしい感じがとてもハマリ役で、当時の人気も凄かった」(ドラマ評論家の田幸和歌子氏) 平成に入ると青島俊作(織田裕二)と室井慎次(柳葉敏郎)の『踊る大捜査線』(1997年・フジテレビ系)のような“キャリア組の上司と現場の刑事”というコンビ間格差を描くドラマや『相棒』(2000年~・テレビ朝日系)のように杉下右京(水谷豊)が亀山薫(寺脇康文)、神戸尊(及川光博)、甲斐亨(成宮寛貴)、冠城亘(反町隆史)と“相棒”を替えていくロングヒットも生まれた。「初めは室井に不信感を抱いていた青島が『室井さんみたいな人がいるなら俺は安心して下にいます』と信頼を寄せ、室井も『責任を取る。それが私の仕事だ』と立場の違う2人が段々と信じ合っていく。絆の強さを感じさせる名コンビでした。『相棒』では歴代の右京さんの相棒のなかでも肉体派で熱血漢の亀山君が、インパクトが強かった。普段は冷静な右京さんが亀山君の行き過ぎた行動に『やめなさい!』と感情的になる場面も多かった。歴代の『相棒』の中でも人間味が溢れていたコンビだと思います」(同前) その後、増えてきたのは“男女コンビ”。柴田純(中谷美紀)と真山徹(渡部篤郎)の東大卒のキャリア女性と元公安の刑事の組み合わせで大ヒットした『ケイゾク』(1999年・TBS系)や山田奈緒子(仲間由紀恵)と上田次郎(阿部寛)の自称マジシャンと自称天才科学者が組み合わせの『トリック』(2000年・テレビ朝日系)が人気を呼んだ。 現在大ヒット中の『天国と地獄~サイコな2人~』(TBS系)も女刑事・望月彩子(綾瀬はるか)とサイコパスな殺人鬼・日高陽斗(高橋一生)の魂が入れ代わるという設定で男女バディの流れが受け継がれている。 令和にも昭和の名作に負けない“バディ”が登場するか。※週刊ポスト2021年2月19日号
2021.02.10 07:00
週刊ポスト
黒沢年雄が、三國連太郎さんや松田優作さんとの過去を振り返る
黒沢年雄が振り返る三國連太郎「どこまで正気か分からない」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の黒沢年雄が、心酔していた三國連太郎さんや『狼の紋章』で共演した松田優作さんについて語った言葉をお届けする。 * * * 黒沢年雄は東宝の専属俳優だった一九六〇年代後半から七〇年代初頭にかけて、ハードボイルド色の強い作品に多く主演している。一九七〇年の映画『野獣都市』では三國連太郎の下でダーティワークに勤しむ若者を演じている。「三國さんはクレージーだね。どこまでが正気なのか分からない。僕、あの人に心酔して、傾倒して、半年くらい傍にいたことがあるんです。 その時に聞いたのが、三國さんが鳥取の生まれで親がやっていた工場が倒産したんで風呂敷包みを持って東京に来て、『よーし!』って苦労しながら俳優を目指した──という話でね。『そんな素晴らしい俳優さん、いるんですね』って小林桂樹さんに話したら、『ばか、あれは全部うそなんだよ』って。 小林さんも一度は騙されたみたいです。『あいつは伊豆の生まれで、親は東京で新聞記者だよ』だって。でも、一方では『演技の勉強だ』といって、ホームレスの格好をして町でリヤカーを引いていたというんだけど、これは本当なの。『野獣都市』では、三國さんは最後に薬でおかしくなるという役だったんですが、二子玉川の高島屋でそのシーンを撮る時になかなか来ないんだよ。で、一時間遅れて来たら、もう役になり切っている。『おはようございます』と挨拶しても返事はない。顔を真っ白にして、背広も真っ黒、靴下も半分脱げそうでね。 それでテストで僕が『社長!』って顔をはたくんですが、『僕はもう意識不明なんだから、思い切りやらなきゃダメだ』というんだ。凄い人だと思った。そのくらい入り込んじゃう。それで思い切り引っぱたいたら、今度は『強すぎる!』って」『死ぬにはまだ早い』『白昼の襲撃』と続いた西村潔監督の映画で屈折した若者役を演じ、日本映画におけるハードボイルドの芝居を確立させている。「ああ、嬉しいこと聞いてくれますね。西村監督が、僕が一番感謝している監督なんだ。 あの人はほとんどアドリブでやらせてくれた。『面白い。クロ、それ使え』って。『白昼の襲撃』で最後に俺が町を歩いて死んでいくのも、俺のアイデアなの。 そんな西村監督も、最後は自殺ですよ。あの人が生きていたら、『ザ・ハングマン』でも何でも、全部やってもらいたかった。『白昼の襲撃』の時期に俺のやっていた役はみんなチンピラ。それは横浜でヤンキーやっていた時のまんまなんだ。それで社会に対する反発みたいなのを表現していた。そういう感性が西村監督と合ったんでしょうね。 で、それを観て映画界に入ったのが松田優作。『狼の紋章』で共演した時に言っていましたよ。『僕、黒沢さんの映画を観て、この世界に憧れたんです』って。 それで、俺のキャラクターをみんな優作に取られちゃったのよ。『探偵物語』とか、あれもう俺の得意なキャラクターじゃないですか。それで俺のキャラクターがなくなって、低迷しちゃったんだ。 だけど、それはいいの。取られたというのは。俺に力がなかったということだから」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。※週刊ポスト2020年12月11日号
2020.12.06 07:00
週刊ポスト
ウーマン村本と松田優作長女がお泊り愛 路上で熱いハグも
ウーマン村本と松田優作長女がお泊り愛 路上で熱いハグも
 お笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔(40才)と、故・松田優作さんの長女で松田龍平(37才)・松田翔太(35才)の妹であるアーティストの松田ゆう姫(32才)が真剣交際していることがわかった。村本といえば、これまでツイッターなどでのコメントがたびたび炎上していたことから“炎上芸人”として知られるが、最近は恋の炎が燃え上がっているようだ。 11月下旬、東京都内のフランス料理店で知人らと会食していた2人。たばこを吸いに店外に出たゆう姫を追って村本が出てくると、2人は見つめ合ったり、寄り添ったり……。店内に残した知人を忘れたかのように、ゆう姫が村本にしなだれかかるシーンもあった。 この日は、知人らと別れると2人で村本の自宅へ。そして翌日もお揃いのブルーのマスクをつけてデートする様子が目撃された。甘い目で見つめ合い、肩を抱き合いながら歩いているからか、ゆっくりとした足取りで歩みを進めていた。 横断歩道を渡る際には、渡り終えることすら待てないのか、横断歩道上でギュッと熱いハグも──。ゆう姫の事務所に交際について聞くと、「プライベートは本人に任せております」と語った。 2人が交際を始めたのは、最近のことだが、関係は急速に深まっているという。村本といえば、反政府発言などが賛否を巻き起こすことも多い。すでにゆう姫は家族に村本を紹介しているというが、果たして松田家は村本を受け入れるのだろうか。11月26日(木)発売の女性セブンでは、村本と松田家の意外な関係にも触れ、ふたりの交際を詳報している。
2020.11.25 12:55
NEWSポストセブン
1000人が選んだ史上最高にカッコいい「刑事ドラマ」ベスト20
1000人が選んだ史上最高にカッコいい「刑事ドラマ」ベスト20
 今も昔もドラマの大定番ジャンルといえば「刑事ドラマ」。派手な銃撃戦を繰り広げるアクションものから、緻密な推理で犯人を突き止めるミステリーものまで多種多様な傑作が生まれてきた。「史上最高の刑事ドラマ」は何か。本誌・週刊ポスト読者1000人にアンケートを実施した。◆まさか死ぬなんて 今まさに、刑事ドラマブームが起きている。「平均視聴率14%と安定した人気を誇る水谷豊主演『相棒』シリーズ最新作(毎週水曜夜9時~)に対抗するように、各局で刑事ドラマが5本も乱立した。それだけ視聴率が見込めるということです」(民放テレビ局関係者) ドラマ評論家の成馬零一氏は、人気の理由をこう分析する。「刑事がどういう職業かみんなイメージしやすい。最後には刑事が犯人を逮捕するという勧善懲悪の構造が分かっているから、視聴者は安心して見られる。作る側にとっても、そこにミステリー、アクション、人情などいろんな要素を組み合わせられるし、犯人を通して社会問題も描ける。時代が変わってもそれに合わせて作りやすいんです」 しかし、過去の名作・傑作を乗り越えるのは容易ではない。 最も多くの票を集めたのは、石原裕次郎主演の『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)だった。1972年から15年間にわたって放送され最高視聴率は37%を記録した。「ブラインドがあると、ボス(裕次郎)の真似をして、つい少し隙間をあけて様子を窺うフリをしていました(笑い)」(63歳会社員) 同番組プロデューサーの岡田晋吉氏が語る。「放送当時は刑事がお堅いイメージだったなか、七曲署の同僚ひとりひとりに魅力的なキャラクターとあだ名を設定し、身近な存在として描いたからでしょう。ショーケン(萩原健一)演じるマカロニは長髪だったから、『こんな刑事はいない』と言われましたが、むしろ“当時の若者がたまたま刑事になった”という設定にしたかったんです」 マカロニの殉職シーンは、名場面として名高い。「まさか死ぬなんて! 『かあちゃん、あついなぁ……』というセリフが切なくて、今でも胸が熱くなる」(60歳元公務員) その裏事情を、岡田氏が明かす。「マカロニの成長物語として長期番組にするはずだったのに、ショーケンが“もうやり尽くしちゃったよ”と言い出しちゃった。そこで、苦肉の策としてマカロニが殉職するという形で卒業することにしたんです。しかし、そのシーンが話題を呼び、新人刑事の殉職がパターン化したことで、結果として長期番組になった」 松田優作演じる2代目新人刑事・ジーパンの「なんじゃ、こりゃ!」など、殉職シーンがドラマの目玉に。1977年に髭面の新人刑事・ロッキーとして登場した木之元亮氏が当時を振り返る。「初めの頃は緊張しっぱなしでしたが、裕次郎さんが僕の緊張を解きほぐそうと、『ア行だのサ行だの難しいセリフもあるけど、俺もサ行がダメなんだよ』と言ってくれて気持ちが楽になりました。 その後、ドラマの中で結婚して子供も生まれていたので、一時は殉職できないのかなと思っていた。だから、殉職できた時は嬉しかったですね。あだ名がロッキーなので、冗談で『ロッキー山脈で死ねたらいいな』といったら、本当に希望通りになったんです」◆鼻歌のテーマ曲 3位は1961年放送開始の『七人の刑事』(TBS系)。15位の『部長刑事』(1958年・テレビ朝日系)とともに、日本の刑事ドラマの原点ともいうべき作品である。「よれよれのトレンチコートにハンチング帽をかぶった沢田部長刑事(芦田伸介)に憧れて、親父のコートを借用しては真似したものです。ン~ン~ンンンっていう鼻歌のテーマ曲は今も耳に残っています」(73歳無職) ちなみに沢田部長刑事のモデルは、実在した警視庁の名刑事・平塚八兵衛だったという。 4位にランクインしたのは、石原プロが手がけた『西部警察』(1979年・テレビ朝日系)。渡哲也演じる“団長”こと大門圭介が率いるのが、凶悪な犯罪者にも恐れられる「大門軍団」。その“お目付役”が木暮謙三役の石原裕次郎だった。「サングラスをかけたコワモテの団長がショットガンをぶっぱなす姿は、まさに男の憧れでした」(52歳会社員) アクションは『太陽にほえろ!』からさらに過激になって、軍団専用の“違法改造車”や装甲車まで登場。同じく渡が主演した『大都会』(1976年・日本テレビ系)も18位に入っている。 激しいアクションをウリにしながらも、コワモテの大門軍団とは一味違う、スタイリッシュな2人組を主人公にしたのが、5位『あぶない刑事』(1986年・日本テレビ系)だ。『あぶデカ』を手がけたのも前出・岡田氏だった。「とにかくタカ(舘ひろし)とユージ(柴田恭兵)が暴れてくれればいいと思っていました。ダブル主人公ものはクレジットでどちらの名前を上にするかが難しいんですが、オープニングを作る際に彼らの職場である警察署にカメラを持って入っていき、たまたま先に出てきたのが舘で、次が柴田だったから、名前の順番も舘、柴田の順にしました(笑い)」 6位の藤田まこと主演『はぐれ刑事純情派』(1988年・テレビ朝日系)は“人情モノ”の代表格。元捜査二課刑事でドラマの監修なども手がける土井紀人氏も高く評価する。「刑事が相手の心理をいかに掴んでいくか。資料を収集し、証拠を分析し、どう事件の“筋読み”をするか。細かい部分がよく描かれていた」◆『相棒』はいいとこ取り 7位に入った海外ドラマの『刑事コロンボ』(1972年・NHK)。冒頭のシーンで犯人が明らかになり、コロンボがその犯人をしだいに追い詰めていく様子に、視聴者はハラハラドキドキ。「帰りかけたコロンボが振り返って“あと一つだけ”といって、ねちっこく質問を浴びせる場面は毎回楽しみだった」(75歳無職) そんなコロンボをオマージュしコミカルな笑いの要素も取り入れたのが、12位の田村正和主演『古畑任三郎』(1994年・フジテレビ系)である。脚本は大のコロンボファンを公言する三谷幸喜だった。「1980年代までの刑事ドラマは“アクション”と“人情”がお約束でした。1990年代に入ると世間のミステリーブームもあって、『古畑』のように『コロンボ』の影響を受けたミステリー型の刑事ドラマが増えていきました」(前出・成馬氏) 1990年代には、警察組織にスポットを当てるドラマも大ヒットした。 8位の『踊る大捜査線』(1997年・フジテレビ系)は、刑事ドラマに“リアリティ革命”をもたらした。「キャリアとノンキャリという聞いたこともなかった言葉が飛び交い、青島(織田裕二)は、主人公なのに“所轄は引っ込んでろ”と言われて捜査に参加すらできない。『本当の警察ってこんなだったの!?』と驚いた」(46歳会社員) 前出・土井氏も太鼓判を押す。「織田裕二さんが警視庁マスコットのピーポくんの着ぐるみを着て出てくるシーンがありましたが、私も同じ経験があり、リアルだなと思って見ていました」 近年の新潮流として、女性刑事が主役を張るものが増えている。13位の竹内結子主演『ストロベリーナイト』(2010年・フジテレビ系)が代表格で、17位で現在放送中の沢口靖子主演『科捜研の女』(1999年・テレビ朝日系)シリーズは、警察組織の中でも科学捜査研究所にスポットを当てている。 刑事ドラマは時代とともに多様化してきたが、前出・成馬氏によれば、過去の刑事ドラマの集大成と言えるのが、2位の『相棒』(2000年・テレビ朝日系)だという。「基本型は『刑事コロンボ』のようなミステリーですが、『はぐれ刑事純情派』のような人情モノ要素もあり、『踊る大捜査線』のような“組織モノ”要素もある。さらに、シーズンごとに相棒役やカラーも変わる点は、『太陽にほえろ!』以来の長期番組の常套手段を踏まえている。そうしたいい意味での“いいとこ取り”が『相棒』の強みなのだと思います」 数々の名作を超える新機軸の刑事ドラマは、いつ現われるのだろうか。※週刊ポスト2020年2月7日号
2020.01.30 11:00
週刊ポスト
番組公式HPより
SPドラマで芥川を演じる松田龍平 「獣にならない」男の魅力
 ストーリーとキャスティングのマッチングは、作品の魅力を考える上でやはり極めて重要だ。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。 * * * ドラマ好きに朗報です。暮れも押し迫った12月30日、至福の時間が待っていそう。スペシャルドラマ『STRANGER(ストレンジャー) 上海の芥川龍之介』(NHK午後9時)は日本一有名な小説家・芥川龍之介の物語。教科書に載っている『蜘蛛の糸』を知らない人はいないけれど、芥川が上海へ行ったことはさほど浸透していない事実かもしれません。 今から約100年前、新聞社の特派員として動乱の中国に渡った芥川は、いったい何を目撃し何を感じたのか。当時の上海の風にどんな匂いを嗅いだのか。そして6年後、なぜ自殺してしまったのか……。 ドラマでは中国ロケを駆使してそのあたり丁寧に描くようです。しかも最近、所在不明だった芥川の紀行文「上海游記」の冒頭の直筆原稿が発見されたとか。このニュースもまた、芥川の上海滞在のミステリアスさを深めてくれています。 であるがゆえ、芥川の役をいったい誰が演じるのかは大切な問題。主演を松田龍平がやると聞いた時、思わず膝を叩きました。内省的なジャーナリストの役にドンピシャ、ハマリ役ではないでしょうか。 そう、松田さんと言えば先日までドラマ『歪んだ波紋』(NHK BS)にて、やはり新聞記者の役を演じていました。それが実にいい味を出していたのです。もの静かで抑制的。表情を崩さない。対象との間に距離感がある。静かな横顔に知性が宿る。人としての深みや哀しみがにじみ出ていた……。 今どきは既存の紙の新聞も部数減で危機に直面し、かつての栄光も失墜しつつあり、一方ではネットニュースが台頭しています。新聞記者も「ブンヤ」のプライドを持って肩で風を切る自信満々のエリート「ではない」。フェイクニュースに翻弄される記者を演じた松田さんは、新聞の置かれている時代の変遷も含めナイーブなテーマを活き活きと描き出しました。 このドラマを制作統括した佐野元彦プロデューサーは、松田さんをキャスティングした理由について語っています。過去のドラマの新聞記者の多くは「熱血漢であり、ともすれば、暑苦しい議論好きな男たちでした。今回の主人公は、かつてとは違う、静かな正義感を持つ新聞記者像にこだわり、その役を演じていただけるのは松田龍平さんしか思いつきませんでした」(2019.8.24スポーツ報知)。 今や松田さんは小説家役やジャーナリスト役に一番似合う男優、とも言えるのではないでしょうか。 振り返ればデビューは中学3年生の時。大島渚監督に見初められ『御法度』という男色が一つのテーマである個性的な作品で新人賞を総嘗め。その後の快進撃はご存じの通り。『まほろ駅前多田便利軒』では松田龍平にしかないできない存在感を見せつけ、『舟を編む』では内向的な辞書編集者を見事に演じきりました。テレビでも、朝ドラ『あまちゃん』のミズタクや『獣になれない私たち』の恒星と、ドラマが終わった後も余韻を残すような個性的な人物像を作り上げたことは記憶に新しい。 ちょっとオタクっぽくて内省的。がつがつしない植物系。クールなおとぼけ風。静けさと強さと純粋さが同居している人。そんな役をやらせたら今、右に出る人がいないのでは。父・松田優作があまりに有名だったので「サラブレッド俳優」とも言えるでしょう。しかし一番興味深い点とは、父のアクション俳優としての激しさや野性味と、龍平さんの持つ独特の静けさとの非対称性、かもしれません。 松田優作といえばまずは刑事役に探偵役、そして野獣のような殺人鬼といった「激しい」イメージが浮かびます。精神と肉体の贅肉をそぎおとし、ソリッドな姿で鬼気迫る演技をする。後に『家族ゲーム』等で異色の役に挑戦していきますが、常に荒々しさだけは維持していた。 松田龍平さんも父のDNAを当然ながら持っているのでしょう。しかし表には直接出さず。不可思議な平静さはむしろ、知性や深みや複雑さとなり視聴者の心を掻き乱すエネルギーになっています。そう、獣になれないのではなく、「ならない男の魅力」です。 一方で、年下の俳優たちには「ヘイヘイ」と呼ばれているとか。飄々としたその仇名は、インパクト大。若い人に対しても偉ぶらない感覚からか、どんな風に呼ばれてもいいよ、というフラットさなのか。今後もヘイヘイと軽く呼ばれながらも、抑制し過剰にならない秘めたる過激な演技を、存分に見せて欲しいと思います。
2019.12.30 16:00
NEWSポストセブン
人気マフィア映画アンケート 圧倒的な支持を集めた作品は?
人気マフィア映画アンケート 圧倒的な支持を集めた作品は?
 主演はロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ、監督はマーティン・スコセッシという、往年のファンが歓喜する最新マフィア映画『アイリッシュマン』が話題だ。そこで本誌・週刊ポストは読者1000人に「好きなマフィア映画」のアンケートを実施した。 海外のマフィア映画で圧倒的な支持を集めて1位になったのは、イタリア系マフィアの「ドン」を主人公にした『ゴッドファーザー』(1972年)だ。「主人公を演じたアル・パチーノはもちろん格好良いが、ドン・コルレオーネ役のマーロン・ブランドのもの静かで凄味のある演技にシビれた」(67歳無職) 映画評論家の秋本鉄次氏が語る。「マフィア映画をファミリーものとして捉え、『家族としての犯罪組織』という視点で描いたのは画期的」 秋本氏によれば、『ゴッドファーザー』は日本のヤクザ映画にも多大な影響を与えたという。「この映画のヒットを受けて、東映の岡田茂社長(当時)が『日本版マフィア映画をやれ!』と号令をかけたのは有名な話です。そうして生まれたのが『仁義なき戦い』。高倉主演、降旗康男監督の『冬の華』(1978年)も、『ゴッドファーザー』に影響を受けた作品として知られています」『ゴッドファーザーPART II』(1974年・5位)でドン・コルレオーネの若かりし頃を演じたロバート・デ・ニーロは以降、マフィア映画の傑作に立て続けに出演。伝説のマフィア、アル・カポネ摘発に乗り出した捜査官4人の戦いを描いた『アンタッチャブル』(1987年・2位)、ユダヤ系ギャングの半世紀に及ぶ友情と裏切りを描いた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年・3位)などがランクインしている。 高倉健と松田優作が出演して話題になった『ブラック・レイン』(1989年)は4位。「松田優作が演じたヤクザの狂気に満ちた暴力性はすごかった」(48歳会社員)『仁義なき戦い』以降、海外のマフィア映画の方が日本から影響を受けるようになったと秋本氏は指摘する。「『パルプ・フィクション』(1994年・8位)などで知られるクエンティン・タランティーノ監督が、『仁義なき戦い』や深作欣二監督の影響を受けているのは有名な話。彼はインタビューでも『ジンギ』というワードをよく使います」 ヤクザ映画とマフィア映画。両者は互いに刺激を受けながら、進化を続けている。高倉の主演作『三代目襲名』で脚本を務めた高田宏治氏が語る。「結局、作り手にどれだけ覚悟があるかが試されるんです。私も日下部さん(『仁義なき戦い』プロデューサーの日下部五朗氏)も、本職のヤクザを相手に危ない目に遭っているし、笠原さん(同映画の脚本家・笠原和夫氏)は監禁されたこともありましたからね(苦笑)。 コンプライアンス云々で時代的には難しいかもしれませんが、願わくば自分が生きているうちに、往年の名作を超えるようなヤクザ映画を観てみたいです」※週刊ポスト2019年12月13日号
2019.12.06 11:00
週刊ポスト
国民的女優・吉永小百合の自然な表情を捉えた
松田優作、吉永小百合らを撮影した写真家・高橋昇氏の世界
「一瞬がすべて、すべてが一瞬」の信念で被写体に向き合ってきた写真家・高橋昇。作家・開高健とともに世界11カ国を同行取材した共著『オーパ!』シリーズで知られる彼は、2007年に58歳で急逝するまで一線で活躍し続けた。 作品の一つに、『月刊プレイボーイ 日本版』(1975年~2008年)の「プレイボーイ・インタビュー」でのポートレートがある。 同作では、第9回日本アカデミー賞優秀作品賞を受賞した主演映画『それから』が公開された直後の松田優作、出演映画が100本に迫る勢いだった吉永小百合、ビートたけしや山口百恵ら日本を代表する著名人をフィルムに収めた。その44名の貴重なポートレートが、9月3日から開催される高橋昇写真展「熱波─プレイボーイ・インタビューセレクション─」(JCIIフォトサロン)で公開される。 時代を彩った顔とともに、過去に思いを馳せてみては。●たかはし・のぼる/1949年北海道生まれ、日本写真専門学院卒。写真家・篠山紀信氏に師事し、1975年に25歳で独立。1978年、作家・開高健に同行取材した共著、ブラジル・アマゾン釣魚紀行『オーパ!』が人気を博し、シリーズ化される。1983年「第14回講談社出版文化賞」受賞。日本の探求をライフワークと定め、能楽師の五十六世梅若六郎、歌舞伎役者の九代目中村福助を長期にわたって撮影した。2007年、58歳で逝去。※週刊ポスト2019年9月6日号
2019.09.01 16:00
週刊ポスト
佐藤二朗の異色の経歴、「暗黒の20代」経て大成するまで
佐藤二朗の異色の経歴、「暗黒の20代」経て大成するまで
 佐藤二朗(50)は独特の風貌と存在感を併せ持つ俳優だ。信州大学を卒業後、リクルートに就職するも1日で退社。2年後に再就職し、サラリーマン生活を送りながら俳優を目指したという異色の経歴を持つ。9月には舞台や映画の公開を控え、大忙しの日々を過ごす佐藤は、子供の頃から役者になる運命だと信じていたという。「根拠もないくせに、自信だけはあった。馬鹿ですよね。きっかけは小学校4年生の学芸会でした。『お芋がこうして生まれました』という劇で、主役はお芋。僕は脇役で、お芋を引率する猫の先生役でした。なぜか僕の台詞が台本の7割もあって。喋るたびに、客席にいた保護者が笑ってくれたのが嬉しかったんです。昔からドラマも好きで、山田太一さんや倉本聰さんが脚本を書かれた作品をよく見ていました」 将来は役者になるという揺るぎない自信がある一方、なれるはずがないと否定するもう一人の自分がいた。育った場所は田んぼが広がる愛知県の田舎町。東京で役者として独り立ちできるとは思えなかったのだ。無難に就職して余暇で芝居をやろうと考えた佐藤は、必死で勉強して信州大学の経済学部へ進学。卒業後はリクルートに就職した。「就職せずに劇団に入って、役者一本で食べていく勇気がなかった。1日で辞めたのは、今思えば入社式で現実を突きつけられたからじゃないかな。入社して初めて、熱意あふれる皆さんを前に、中途半端な気持ちの僕がやっていけるのかと。働きながら役者をやろうなんて甘い考えだと思い知りました。すばらしい会社に入れたというのに、大馬鹿者ですよね」 その後2つの俳優養成所に通うが、劇団員にはなれなかった。佐藤は仕方なく「役者の適性がない」と諦め、広告会社の営業として働き始める。だが、営業成績でトップをとっても、抱き続けた夢を捨て去ることはできなかった。27歳で養成所時代の仲間と演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。仕事を終えると背広姿のまま稽古場に直行し、脚本と出演の両方をこなした。「ビッグマウスを承知で言えば、この頃も、僕が世に出たら楽しめる人がたくさんいるはずだと本気で考えていました。でも、現実はそんなに甘くないことも知っています。20代は心がボロボロで辛かった。二度と戻りたくない暗黒の時代です(笑い)」 その後しばらくして演出家・鈴木裕美に誘われ、劇団「自転車キンクリート」に入団する。大きな転機は31歳で訪れた。演出家・堤幸彦の目に留まり、ドラマ『ブラック・ジャックII』に無名の医師役で出演してから、少しずつ活躍の場が増えていった。 6月に公開された、岡田准一主演の映画『ザ・ファブル』は大ヒットを記録。現在は吹き替えを担当したディズニー映画『ライオン・キング』が公開中だ。吹き替えに挑戦するのは5度目となる。「主人公のライオンと友達になる、イボイノシシの役です。芝居と違って、声だけで勝負するのは何度やっても難しい。吹き替えと芝居は全く別物ですね」 役者の域を超えたマルチな顔も持つ。映画『memo』(2008年)、『はるヲうるひと』(公開日未定)では監督・脚本を担当。レギュラーでクイズ番組のMCも務める。俳優養成所で出会った妻とは結婚して17年になり、7歳の息子を持つ父親でもある。6月には、最も素敵な父親に送られるベスト・ファーザー賞を受賞した。「立派な賞をもらったけれど、まだまだ子供です(笑い)。昔は嫁の手料理を肴に晩酌をしながら、その日の出来事を聞いてもらうのが楽しみでした。今は夫婦で、子供の話を毎晩聞いていているのですが、途中から自分も話したくなってくる。『次はお父さんの番だ!』って、嫁に話を聞いてもらう権利を息子と奪い合っています(笑い)」 子育てに関しては手探り状態だが、ただひとつ、父親として子供に胸を張って言えることがあるという。「世の中、理不尽が当たり前だけど、それほど捨てたものじゃない。僕みたいな男でも、努力すればたくさんの人に助けてもらって、役者になることができましたから」●さとう・じろう/1969年、愛知県春日井市出身。1996年、演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。全公演で作・出演を務める。『ブラック・ジャックII』(2000年)でドラマに初出演し、映画『幼獣マメシバ』(2009年)で初主演を果たす。数々の映画、ドラマで活躍する一方、『ケータイ刑事 銭形シリーズ』などで脚本を手がけ、2008年には映画『memo』で監督・脚本も務めた。8月9日公開の映画『ライオン・キング』ではプンバァの吹き替えを担当。■撮影/内海裕之、取材・文/戸田梨恵※週刊ポスト2019年8月30日号
2019.08.21 07:00
週刊ポスト
姉妹ともに日本を代表する女優(時事通信フォト)
有名人姉妹 妹が超大物と結婚しているケースが目立つ理由
 有村架純・有村藍里など、芸能界の美人姉妹が話題にのぼることが多い今日この頃。有名人姉妹を見ると、妹が超大物と結婚しているケースが目立つ。女優の倍賞美津子とアントニオ猪木(後に離婚)、松田美由紀と松田優作、元TBSアナウンサーの福島弓子とイチロー、レスリングの山本聖子とダルビッシュ有といった具合だ。ちなみに松田の姉は熊谷真実、福島の姉は福島敦子、山本の姉は山本美憂である。「一般的に、親から厳しいしつけを受ける姉は几帳面でしっかりしているのに対して、縛りの緩い妹は自由で他人にも大らかな性格になりやすい。そのため、スポーツの超一流選手のように自分なりの哲学を持っている人には、妹の方が合うのかもしれません」(社会心理学者で国際基督教大学教養学部元教授の磯崎三喜年氏) 実は彼女たち、いずれも末っ子でもある。「兄弟の末っ子、特に女の子は家族みんなに可愛がられる。そのため、甘え上手になるし、愛情表現にも長けています。また、一番上でも一人っ子でもないため、恋愛や結婚に比較的自由がある。モテる要素を持っているのでしょう」(磯崎氏) いわば“妹力”が、結婚という舞台で大きな力を発揮するというわけである。伊調馨、浅田真央、大坂なおみ……超一流アスリートの今後も楽しみだ。※週刊ポスト2019年6月21日号
2019.06.14 07:00
週刊ポスト

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