スポーツ

新庄剛志の麻雀 「役満しか狙わない。字牌5枚あると国士無双に走る」証言

麻雀でも“らしさ”が(写真/共同通信社)

麻雀でも“らしさ”が(写真/共同通信社)

 トライアウト視察にバラエティ番組出演と、オフの話題を席巻する日本ハムの“ビッグボス”こと新庄剛志監督。プロ入りしたのは低迷が続いていた阪神で、当時は人気選手でありながら“問題児”のイメージもついて回った。実際にはどんな人物だったのか。新庄氏を間近で見ていた男たちの証言──(全3回の第1回)。

 * * *
 西日本短期大学附属高(福岡)時代は甲子園出場経験もなく、高校球児としては“無名”だった新庄氏は、1989年のドラフト5位で阪神に入団した。

 入団後は甲子園球場近くの独身寮「虎風荘」に入った。若虎たちの指導にあたっていたのは“鬼寮長”と呼ばれた梅本正之氏だった。梅本氏は、まだ18歳だった新庄氏の印象をこう振り返る。

「本当に田舎者でしたね。入寮時は学生服を着ていて、挨拶もろくにできない。団体生活に馴染めるか心配だったほどです。当時、寮長と育成コーチを兼任していましたが、マジメに練習するというより、コーチに怒られても堪えないタイプでした。私が見る限り、最初は努力の“ど”の字もなかったね(笑)。ただ、肩や足の潜在能力は凄いというか、センスだけで生きていた。練習を重ねるうちに遠投がどんどん伸び、足もどんどん速くなった。潜在能力が実力に変わっていくとともに、どんどん垢抜けていきましたね」

 一軍で活躍するようになると、ヴェルサーチェのスーツをまとった新庄氏をファンが取り囲むようになる。「新庄ギャル」が寮の周辺にも押しかけた。

「二軍時代は朝の散歩で犬も寄ってこんかったのに、新庄を取り囲んでサインや握手攻めですわ。当時の寮は甲子園球場と大きな道路ひとつ隔てたところにあって、試合が終わると寮のほうに200~300人くらいのファンが流れてくる。近所の店からも、うるさいと苦情がきて、僕は“寮を移転したほうがいい”と会社に申し立てたほど。田淵(幸一)や江夏(豊)、掛布(雅之)も最初は寮生活でしたが、こんなことはなかった」

関連キーワード

関連記事

トピックス

ヤクルトの若き主砲・村上宗隆(時事通信フォト)
ヤクルト・村上宗隆が史上最年少40号!「外れ1位」が清宮幸太郎をはるかに凌ぐ理由をスカウトが説明
NEWSポストセブン
福岡国際マラソンでは早大、エスビー時代を通じて優勝4度(写真は1983年/時事通信フォト)
瀬古利彦、恩師・中村清監督との衝撃の出会い「砂を掴み、むしゃむしゃと食べ始めた」
週刊ポスト
プロレス総選挙
今回は「プロレス総選挙」 なぜテレ朝は『○○総選挙』を放送し続けるのか
NEWSポストセブン
役者として急上昇中(時事通信フォト)
『石子と羽男』有村架純・中村倫也の間の「おいでやす小田」 名バイプレーヤーの季節到来か
NEWSポストセブン
かたせ梨乃が語る五社英雄監督「アメとムチの使い分けが上手な“父”でした」
かたせ梨乃が語る五社英雄監督「アメとムチの使い分けが上手な“父”でした」
週刊ポスト
インタビューに応じた女子大生
「18歳女子大生」独占インタビュー【第1回】吉川赳議員のついたウソ「私の年齢に食いついた」「愛人契約しないか」
NEWSポストセブン
吉川議員の名刺を手にする女子大生
「18歳女子大生」インタビュー【第2回】吉川赳議員はホテルで「揉んじゃって御免なさい」「おじさんムラムラしちゃった」
NEWSポストセブン
背番号「12」を付けていた柴田貴広(現・大東文化大3年。撮影/藤岡雅樹)
佐々木朗希・高校3年の夏【前編】岩手大会決勝で投げた「背番号12」の思い
週刊ポスト
幹部補佐になっていた
「好きで好きで仕方なかったから」刺されたホスト、歌舞伎町で「幹部補佐」に昇進していた
NEWSポストセブン
松田聖子を目撃
松田聖子、沙也加さんの初盆に“もう1つの遺言”と「新しいお墓」への願い
女性セブン
「同伴的なので」と自分の意思を伝えた吉川議員
「18歳女子大生」インタビュー【第3回】吉川赳議員から大量の「LINEメッセージと電話」
NEWSポストセブン
中林大樹の姿を目撃
竹内結子さん三回忌 中林大樹が子供のために決断、家族3人新生活は「海辺の街」で
女性セブン