ライフ

【書評】注目の台湾作家・呉明益が台湾語でなく中国語で創作する理由

『自転車泥棒』著・呉明益、訳・天野健太郎

『自転車泥棒』著・呉明益、訳・天野健太郎

【書評】『自転車泥棒』/呉明益・著 天野健太郎・訳/文春文庫/1155円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)

 いま日本で最もビビッドな台湾作家といったら、の名を挙げなくてはならないだろう。太平洋戦争末期に少年工として神奈川県の海軍工廠に従事した父の記憶を探るデビュー作『眠りの航路』、ある日、台湾の東海岸に巨大な「ゴミの島」が衝突してくるという『複眼人』など、今年は立て続けに邦訳書が出た。

『自転車泥棒』は自転車が主人公の大河小説。舞台は現代の台湾だが、主人公「ぼく」の家族の物語は、一九〇五年、旅順でロシア軍が日本軍に投降した年に始まる。ある事情から、「ぼく」は父不在の過去とその痛みに向きあい、自転車探しの旅が始まる。

 そのなかで、中国と台湾の複雑な関係も浮き彫りになる。「ぼく」はマレーシアで日本軍に徴兵され「銀輪部隊」に入った台湾人や原住民たちのことも初めて知ることになった。

 呉明益は台湾語ではなく、主に中国語で創作している。以前、鼎談で会って話した際に、「国家と言語はイコールではない」という話が出た。台湾の諸民族の言語がもつ美しさ、豊かさを彼は滔々と語りながら、それでも「大きな言語」である中国語で書かざるをえない事情があるという。

 台湾は中国語以外に、ビン南語と客家語、布農語と他の原住民の言葉も多様にあるが、小説の少なくとも地の文は中国語で書くことになる。台湾語で書く方法を子どもの頃から習っていないこと、台湾語の文字表現の問題なのだ、と彼は言った。台湾語と中国語に言語表現の高低差がある。

「じてんしゃ」という言葉を表す単語一つとっても、「鐵馬」「孔明車」と言うなら台湾語が母語の人であり、「単車」「自行車」と言うなら中国南部からやってきた人、「自転車」と言うなら日本語教育を受けたことのある人、だろう。呉明益の小説世界とその語彙には、欧米とアジア、台湾と中国と日本の歴史と文化が複雑に入り混じり、その混交と軋轢が刻印されているのだ。

※週刊ポスト2022年1月1・7日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

2014年に結婚した2人(左・時事通信フォト)
《仲間由紀恵「妊活中の不倫報道」乗り越えた8年》双子の母となった妻の手料理に夫・田中哲司は“幸せ太り”、「子どもたちがうるさくてすみません」の家族旅行
NEWSポストセブン
詐称疑惑の渦中にある静岡県伊東市の田久保眞紀市長(左/Xより)
《大学時代は自由奔放》学歴詐称疑惑の田久保市長、地元住民が語る素顔「裏表がなくて、ひょうきんな方」「お母さんは『自由気ままな放蕩娘』と…」
NEWSポストセブン
遠野なぎこ(本人のインスタグラムより)
《自宅から遺体見つかる》遠野なぎこ、近隣住民が明かす「部屋からなんとも言えない臭いが…」ヘルパーの訪問がきっかけで発見
NEWSポストセブン
大谷翔平(時事通信)と妊娠中の真美子さん(大谷のInstagramより)
《大谷翔平バースデー》真美子さんの“第一子につきっきり”生活を勇気づけている「強力な味方」、夫妻が迎える「家族の特別な儀式」
NEWSポストセブン
詐称疑惑の渦中にある静岡県伊東市の田久保眞紀市長(HP/Xより)
田久保眞紀市長の学歴詐称疑惑 伊東市民から出る怒りと呆れ「高卒だっていい、嘘つかなきゃいいんだよ」「これ以上地元が笑いものにされるのは勘弁」
NEWSポストセブン
東京・新宿のネオン街
《「歌舞伎町弁護士」が見た性風俗店「本番トラブル」の実態》デリヘル嬢はマネジャーに電話をかけ、「むりやり本番をさせられた」と喚めき散らした
NEWSポストセブン
横浜地裁(時事通信フォト)
《アイスピックで目ぐりぐりやったあと…》多摩川スーツケース殺人初公判 被告の女が母親に送っていた“被害者への憎しみLINE” 裁判で説明された「殺人一家」の動機とは
NEWSポストセブン
遠野なぎこ(本人のインスタグラムより)
《女優・遠野なぎこのマンションで遺体発見》近隣住民は「強烈な消毒液の匂いが漂ってきた」「ポストが郵便物でパンパンで」…関係者は「本人と連絡が取れていない」
NEWSポストセブン
記者が発行した卒業証明書と田久保市長(右/時事通信)
《偽造or本物で議論噴出》“黄ばんだ紙”に3つの朱肉…田久保真紀・伊東市長 が見せていた“卒業証書らしき書類”のナゾ
NEWSポストセブン
JESEA主席研究員兼最高技術責任者で中国人研究者の郭広猛博士
【MEGA地震予測・異常変動全国MAP】「箱根で見られた“急激に隆起”の兆候」「根室半島から釧路を含む広範囲で大きく沈降」…5つの警戒ゾーン
週刊ポスト
盟友である鈴木容疑者(左・時事通信)への想いを語ったマツコ
《オンカジ賭博で逮捕のフジ・鈴木容疑者》「善貴は本当の大バカ者よ」マツコ・デラックスが語った“盟友への想い”「借金返済できたと思ってた…」
NEWSポストセブン
米田
《チューハイ2本を万引きで逮捕された球界“レジェンド”が独占告白》「スリルがあったね」「棚に返せなかった…」米田哲也氏が明かした当日の心境
週刊ポスト