文乃はノートにペンを走らせながら向かいの相手──名古屋市全域でトヨトミディーラーを展開している、「トヨトミムーブ北名古屋」の経営者・清城順平──にたずねた。
もともとは小さな自動車整備工場を営んでいた清城だったが、武田剛平がトヨトミ自動車の社長を務めていた1990年代後半、トヨトミが大衆車の新たな系列ディーラーを立ち上げる際に手をあげると、持ち前のバイタリティときめ細やかなサービスでクルマを売りまくり、瞬く間に商圏を拡大していったやり手経営者だ。
「ええ、このままでは〝共食い〟ですから」
清城がトヨトミディーラー同士での潰し合いを避けるため、市内郊外の再開発が進む地域に、頑健さで知られるスウェーデンの自動車メーカー「ガルボ」の販売店を出店しようと考えたのは昨年末のこと。ガルボ側に伝手があったことで交渉はとんとん拍子に進み、さあ販売契約を結ぼうという段になって届いたのが、統一からの直筆の手紙だったというわけだ。
「われわれはトヨトミと特約店契約を結んでいますから、他の国内メーカーのクルマは売れません。ただ、契約上外車については自由なんです。それなのにあの人たちは妨害してきた」
清城は怒りがよみがえってきたのか、手紙を一瞥すると吐き捨てるように言った。トヨトミムーブ北名古屋は地場ディーラーであり、トヨトミとの資本関係はない。トヨトミとの取り決めで禁止されていないのなら、清城のいうとおり外車を売るのは自由だ。
(それに、至極まっとうなやり方じゃん)
文乃は先週の横井の話のメモに目を落とした。やはりトヨトミディーラーである「尾張モーターズ」が組織的に行っている不正車検を告発するメモだ。
「車検」は、ただでさえ縮小している日本の自動車市場で、全車種併売化によって苛烈な競争の中に放り込まれたディーラーが目をつけた収益源だったのだ。車検は単価は安いが収益性が高く、数をこなせばこなすほどディーラーは儲かる。かつて豊臣統一が旗振り役となって導入した「GOGO車検(五十五分車検)」はその最たるもの。
トヨトミ自動車は、車検を手がける台数の多い店を表彰することで、競争を焚きつけた。清洲城の修復のために報奨金を出して人足の競争意識を煽った同じ苗字の戦国武将のように。五十五分という短時間でできるだけ多くの車検をこなし、収益増に貢献してきたクイック車検だったが、それは「質」と「安全」が伴ってこそ価値がある。いつしか収益と「五十五分で終わらせること」が目的化し、モラルハザードが起きた。安全性への配慮がおざなりになり、不正が起きる土壌が培われた。
そして地獄の釜のふたは、統一自身の経営判断──全車種併売──によって開かれた。たちまちのうちに全国のディーラーは上を下への大騒ぎとなる。それをわかっているのかいないのか、統一は、不正に手を染めず正当な手段で生き残りをはかる独立系のディーラーに圧力をかけるようなマネをしている。
大老からの返信
「しかし、手紙はともかく、実際には妨害などできるはずないでしょう」と言った文乃の声は、意図せず怒気をはらんだ。こんな理不尽があるだろうか。
ええ、と清城はマスクをずらし、秘書が運んできたコーヒーに口をつけた。
「トヨトミ側がこちらの販売活動を妨害するのは、独禁法に触れる可能性が高い。〝世界のトヨトミ〟の経営者ですよ。そんな人間が独禁法も知らないなんてことがありえますか?」
ありえる、と文乃は内心でつぶやいた。統一のキャリアを思い出してみる。
城南義塾大学を卒業後、アメリカに留学してMBAを取得。外資系証券会社に数年間勤めてから一族のもとに戻り、トヨトミ自動車に入社した。トヨトミでは営業や生産管理、財務、か。たしかに法知識にうとそうなキャリアだが、そういえば大学は法学部じゃん、と思い至り、思わず苦笑した。
「ガルボの件はどうなったんですか?」