インスタグラム(@annajun0729)ではピアノの弾き語り動画を投稿することも
母のためにも生きなければ
「体調が少しずつよくなると、頭のモヤモヤも治まってきて、普通に会話もできるようになりました。でも、それまでのように声が出ない。歌を生業にしてきましたから、引退しなくてはいけないとも思いましたが、“私は歌以外、何もできない。どうやって暮らしていこう”などと考えているうちに、やっぱり歌しかないと思い直して、ボイストレーニングを始めました。そうすると、ちょっとずつ気持ちも前向きになってきて、1年くらいで声もよく出るようになり、歌手としてステージに復帰することもできたんです」
苦しいとき、彼女を支えたのは、ファンの存在だった。
「闘病生活のため、50代から60代にかけて、ほとんど仕事をしてこなかったにもかかわらず、宝塚時代からのファンのかたがたがずっと私の歌を聴きたいと、見捨てないで待っていてくださったんです。“この人たちのために歌いたい”と思ったのが、私の大きな心の支えとなりました」
また58才で亡くなった母のことも頭にあった。
「母も私と同じ病気でした。だからこそ、自分の命が助かったとき、母の分まで生きなければいけないと思いました」
そんな彼女を、さらに病が襲う。
「残念ながら、膠原病の症状は、薬で抑えられているだけであって、一生、つきあっていかなくてはなりません。
しかも、69才のときには初期の腎臓がんが見つかって、手術で摘出しました。さすがに“どうしよう”とは思いましたが、でも、その後で“命が助かったのだから、悩んでも仕方ない”と、思うようになりました。
いつまで生きるかわからないのだから、くよくよしている時間がもったいない。いまも不安がこみ上げてこないわけではないけれど、そのたびに、“負の考えを持つのは時間がもったいない!”と自分に言い聞かせるようにしています」
それでも不安が押し寄せてきたときは、部屋の片付けをするという。
「もともと掃除好きなんですが、片付けをしていると余計なことを忘れられるんです。部屋の片付けをすることは、自分の心も片付けることかもしれませんね。
私の座右の銘は『立つ鳥跡を濁さず』なんですが、私にもしものことがあっても、残された人が困らないようにしていたいんです。と言うのも、97才で亡くなったうちの父が、晩年、施設に行く前にした家の片付けが本当に大変だったからなのです。だから、余計なものは買わない、置かないようにしています。
これまでに使用した衣装は誰にどのようにして差し上げるか考えています。家にある大切なピアノは、私がいなくなった後、どなたか大切にしてくださるかたのもとへ渡るよう、信頼できる買い取り業者にお願いしようと思っています」