全日本選手権を終えた2015年12月の仙台空港での羽生
被災地を毎年のように訪問し、復興イベントや寄付を続けてきた羽生。その存在がどれだけ被災者を勇気づけ、人々の目を復興支援に向けてきたことだろう。前出の2015年にフリップに書いた《支援活動》を、彼は着実に進めてきた。
「今回の会見で述べていたように、競技者としては、“平昌五輪で引退する”という選択肢も大いにあった。実際にその後は、常にけがとの闘いで、満足いく状態で試合に臨めたことはほとんどありませんでした。それでも現役を続行したのは、自分が注目を浴びる選手でい続けることで、より大きな支援の力になりたいという思いだったのではないでしょうか。
4Aへの挑戦を掲げて北京五輪に挑戦しましたが、やはり足の状態と、自分を奮い立たせる気力はもう限界に達しているように感じました」(前出・フィギュアスケート関係者)
※女性セブン2022年8月4日号
