10月に帰国して初めて見た手術後の父は、痩せて弱々しく感じられ、本人は悔しそうでしたが、母から、「あなたが帰ってくるまでに歩けるようにと頑張ってリハビリしたのよ」と聞きました。
翌11月、医師から「年内もたないかもしれない」と告げられました。そのことを知らない父は、どこか解せない感じで、会いに行くとベッドで天井をボーッと見つめて「治るのかね?」という表情をしていました。
その後、冬休みに帰国したら、もう会話はできず、目で語っていました。そして最期の数日間は、壮絶でした。
モルヒネで意識が朦朧とするなか、寝たと思ったら突然笑顔で『平成教育委員会』のオープニングの動きをしたり、「スタッフを呼べ」と言い出したり。むくっと起きて大好きなポテトチップスを食べようとしたこともありました。「早く仕事に復帰したい」との執念をものすごく感じました。
父が亡くなり今年で29年。もっと色々と話したかったですね。
※週刊ポスト2022年7月29日号