それまで誰も聴いたことのなかったメロディに、誰も使わなかった言葉をのせ、唯一無二の歌声で颯爽と登場した吉田拓郎、井上陽水、小田和正──日本の音楽シーンをリードし続けてきた3人が1970年代に果たした輝かしき功績について、音楽評論家のスージー鈴木氏が語る。
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現在のJポップの隆盛は、吉田拓郎、井上陽水、小田和正の1940年代生まれの3人が果たした功績と、彼らが大ブレイクした70年代を抜きには語れません。
吉田拓郎はデビュー曲『イメージの詩』(1970年)で、それまでの若者が聞いたことがなかったような普段着の言葉と飾らないメロディを引っさげて音楽シーンに登場しました。60年代に人気を博したクラシカルでエレガントなグループサウンズとは異なる、心の奥底をさらけ出すような言葉遣いは拓郎が持ち込んだと言っても過言ではありません。
若者にギターを持たせ、「自分の言葉で歌っていいんだ」と思わせたのは、拓郎の最も大きな功績です。桑田佳祐も拓郎から大きな影響を受けた1人であり、日本人が自分の言葉で歌詞を書き、メロディを作って歌う「Jポップ」の礎を作ったのが拓郎と言えます。
拓郎が先鞭を付け、その流れに乗り、当時のフォークやニューミュージックは売れると実証したのが、拓郎の2歳下の井上陽水でした。『氷の世界』(1973年)は、抜群の歌唱力と日本人の琴線に触れる言葉遣いで日本初のミリオンセラーアルバムとなり莫大なレコードセールスで音楽マーケットをさらに広げました。後のJポップにつながるビジネスの基盤を完成させた人として位置づけられると思います。
小田和正は陽水の1歳上でデビューは70年と早かったのですが、オフコースがブレイクしたのは『愛を止めないで』『さよなら』が大ヒットした79年。歌詞の世界に女性的な切なさを持ち込みながら、拓郎と陽水が築いてきたマーケットの上で、歌詞や音の水準を究極まで高めた職人だと私は感じます。
【プロフィール】
スージー鈴木(すーじー・すずき)/1966年生まれ、大阪府出身。音楽評論家、小説家、ラジオDJ。昭和歌謡から最新曲まで守備範囲が広く、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『桑田佳祐論』(新潮新書)など著書多数。
取材・文/上田千春
※週刊ポスト2022年9月2日号