77歳で亡くなられた吉右衛門さん。数年先まで演じたい役を考えていたという
秀山祭とは、初代吉右衛門の生誕120年を記念して、その功績をたたえるため、平成18年から始まった公演。
「とにかく主人は何をおいても、まず初代吉右衛門が第一であり、年齢とともにその想いは強くなっていった気がいたします。 年々、『9月の歌舞伎座といえば秀山祭』と思っていただけるようになったのは、ありがたいことでした」
役者でなかったら絵描きになりたかった
『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』『菅原伝授手習鑑 寺子屋』など、重厚な時代物の義太夫狂言で悲劇的な主人公を演じ、当たり役としてきた吉右衛門さん。舞台では、役の心情を細やかに表現し、朗々たる台詞回しで、不変な親子の情愛や戦の無情を観客に味わわせてくれたものだ。
そんな吉右衛門さんは、プライベートでは絵を描くことを好み、孫たちと過ごす時間を何よりの楽しみとする穏やかでチャーミングな人柄であった。
「絵を描くことが好きだったのは子どもの頃からのようです。病弱だったこともあり、外で遊ぶよりも家の中で一人で絵を描くことが多かったのだと申しておりました。私が結婚した頃は、家にデッサン用の石膏像もありましたし、竹内栖鳳さんの画手本を見ながら練習していることもありましたね。地方公演に出かけた時や休みの時も、時間を見つけてはスケッチブックを広げていました。歌舞伎役者でなかったら絵描きになりたかった、いつか何とかしてパリのエコール・デ・ボザール(高等美術学校)で学んでみたいとも口にしておりましたね」