自宅には膨大なスケッチブックが残されている。この絵は少し若き頃を描いた自画像
初代吉右衞門は俳句をよく詠み、多くの名句を残しているが、俳句も絵画も、大切なのは描く対象を丁寧に観察すること。その観察眼は役者が役づくりにおいて演じたい人物像を掘り下げる行為にも通じるのだと、かつて吉右衛門さんは語っていた。休暇に夫妻で旅をする時も、お目当ては美術館めぐり。新刊に綴ったエッセイでは、絵画への思いを書き残している。
「ヨーロッパの美術館では作品をガラス越しでなく直に観ることができます。近寄って作者の筆遣いを観察しても、座り込んで複写をしても咎められない、美術との距離の近さがいいですね。僕もスケッチブックを持ち込んで画学生を気取り鉛筆を走らせました」(『中村吉右衛門 舞台に生きる』第2章随筆より)
またコロナ禍の自粛期間中は、日々スケッチブックに向かっていたという。 役者絵、芝居の小道具、孫たちに贈った“えとのえほん”など、膨大な数のスケッチを描いた。どの絵からも吉右衛門さんが描いた対象への思いが伝わってくるが、とりわけ感じるのが家族への愛情だ。コロナ禍、絵を描き始めた経緯について、吉右衛門さんはこう述べている。
「ちょうどそんな時、孫の丑之助がめでたく小学一年生になりました。しかし通常通りの入学式もできず、緊急事態宣言が発令されると、登校がどんな状態になるかもわかりませんでした。僕にできるこことは心で祝福するしかありません。何かしてあげられることはないかと頭を捻り『そうだ入学祝いの絵を描いてあげよう。コロナに勝ってまた往来が自由になったらおめでとうと言って渡してあげよう』。そう思って、『入学祝い』の記念の絵を描きました。家内に『そんなに根を詰めるとまた病気が出るわよ』と注意されましたが、自分でも呆れる程、絵を描くことが好きなのだなと思いました」(同書より)