たまのランニングと言えば
下は短パン(写真/横田紋子)
──『イカ天』に出演されてからは、一気に有名になりましたよね。
「1989年11月に『イカ天』に最初に出て、5週勝ち抜いて12月で番組への出演は終わったんです。でも明くる1990年1月1日に武道館で行われた『輝く!日本イカ天大賞』というイベントにも出演しました。その年は、紅白歌合戦にも出演して、レコード大賞(『第32回日本レコード大賞』)にも出たので、1990年の元旦と12月31日は両方とも武道館にいたんです」
──凄い一年ですね! いまも『イカ天』のバンドが集まってライブを行うと石川さんが出演されていることも多いですが、皆さまとは交流が多いのですか。
「『サイバーニュウニュウ』や『宮尾すすむと日本の社長』とはまだ交流があります。デビューしてからしばらく経って、たまのことを忘れ去られている時に、『たまっていうと石川さんのイメージ』って言われたりするんですよ。あ、俺って意外と覚えられているんだって驚いたり(笑)。だって僕はメインボーカルじゃないからね」
──石川さんがパーカッションを叩く姿は、印象的だったと思いますが……。
「でも当時は歌っていた二人の人気があったからね。僕なんて忘れられていると思っていた。でもネットだと、『ランニング』っていう呼び名で僕のことが書かれていたりするんですよ。最近はランニングじゃなくタンクトップって言われるけど(笑)」
──たまはそれぞれが個性的なバンドですよね。
「例えばチェッカーズだったら、ボーカルの藤井フミヤさんの活動が目立っているけれど、たまの場合は、4人ともソロでまだ活躍していて、世間的には売れていないかもしれないけれど、なんとかぎりぎりのところで食えている。それってラッキーだって思うんですよ」
(後編に続く)
(取材・文/池守りぜね)