「だって楽しく飲みたくて酒場へ行くわけでしょう? それはものまね芸人の古賀シュウの芸で、自分のじゃないってことは伝えた上で、周囲の思いや空気に乗っかるのも大事。
前にダメな店や嫌な店の〈逆ミシュラン〉を作ったこともあるあたしの理想は、順当な値段で味も居心地もいい店。逆に星自慢みたいな店は口コミやら値段やらが加味されて、まずいと言えない空気を作っちゃうんです。実際に行った高級店は少なくともあたしの口には合わなかったし、そもそも万人に合う店なんて滅多にない以上、〈自分の口を信じましょうよ〉と」
また第2章「日常を忘れる」では、趣味に〈年相応〉などありえないと全否定し、自身の過去に遡る趣味遍歴を披露。〈「趣味はかくあるべし」と思い込むと人生損します〉を地で行く著者の場合、その趣味が仕事になる度にまた次の趣味を探すことの連続だったという。
「例えば町歩きが好きだと言うと、すぐに散歩の○○みたいな仕事が来るんです。なぜかは知りませんけど。そのうちに写真や自転車や、下町で消えつつあるものの記録も連載や番組になって、日常を忘れ、自分を活性化できる時間が、そうじゃなくなってくるんですね。
それでまた他を探すもんだから、趣味が雪だるま式に増えるんですよ(笑)。それでも今は多少減らしていて、納豆の包装を集めてたんですが、やめましたね。だって、公演先でもスーパーを何軒も廻ったりして、大変なんですよ。他のことが何も出来なくて(笑)」
「昔はよかった」とは言ってない
本作の概ね軽快な筆致が、自身の音楽的原点やプロ意識に及んだ瞬間、厳しさを俄に帯びるのが印象的だ。例えばモテるために音楽を始めた人は当時少なくなく、あなたもそうかと問われた著者は、〈そんな邪な考えでフォーク・シンガーになったわけじゃありません〉ときっぱり。〈あたしは、デモにも参加できないし、投石して機動隊ともめる根性もなかったんですけど、歌で種を播くことはできると真剣に思っていた〉〈だからこそ、反戦歌みたいなものを歌って〉〈あの時代の問題に切り込んでいたんです〉と。
「まあそれも先輩の模倣で、大したことじゃないんです。確かに今より若者は大人でしたよ。よく酒場で映画や演劇を熱く語ってる連中が反戦や差別についても深く考えていたり、考えずにはいられない時代でしたから。
でもテレビに出る、出ないは先輩の方針に従うだけだったり、彼らが黒と言えば白い物も黒になった。それでもその先輩達の形があまりにも美しかったから、その土壌の上に自分も種を播けないか、そしたら聴き手も反応してくれると信じられたから、『悲惨な戦い』が放送禁止になっても歌ってこれたんだと思います」