聞けばMさんは、私設秘書になって11年経つ。「どんなきっかけで秘書になったんですか?」と問うと、失業しているときにたまたま近くの議員事務所で「短期アルバイト募集」の貼り紙を見たんだって。面白そう、それくらい軽い気持ちで事務所に入ったら、すぐに選挙になった。お茶出しにおつかい、遊説先でのマイクの準備など、選挙戦の渦に巻き込まれて無我夢中。
「その代議士が選挙に落ちたんですよ。
初めて身近で選挙にかかわった私は、選挙事務所を畳みながら、悔しくて涙が止まらなかったの。もしあのとき、当選していたら約束通り3か月の短期アルバイトで終わったと思う。落選した悔しさで、政治の世界から足抜けできなくなっちゃった」だって。
なんかわかる気がする。私も途中、母親の介護のために実家・茨城に帰ったりして永田町から離れた時期があったけれどまた戻ってきたし、ここでの4年間はあっという間だったもんなぁ。
中学生のとき、「かごに乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋をつくる人」という格言を教えてくれたのは社会科の先生だ。さしずめ、永田町の「草鞋をつくる人」が私設秘書だとすると、「かごに乗る人」が大臣だよね。
その元大臣と飲みの席で何度か話したことがあるんだわ。
彼は政治家になったときから実現したい政策があって、そのために着実に大臣への階段を上っていったのだそう。そしてとうとう大臣の席に座った。
その彼が酔いにまかせて、「もう大臣はやりたくないよ」と言ったからビックリした。理由は1つ。SP(セキュリティーポリス)が警護につくことなんだって。彼がため息交じりに言う。
「あなたね、24時間、警護がついている暮らしって想像したこと、ある? トイレに入っているのを外で待っている人がいつもいるって耐えがたいよ。家に帰ってからちょっとコンビニに行きたいときでも単独行動は厳禁。呼んでくれって言うし」
その立場にならないとわからないことがあるんだなと思ったね。
話は戻って岸田さんだけど、就任当時、彼が首相公邸に住むことを選んだのがニュースになったことがある。公邸のお隣は首相官邸だから、まさに職住近接よ。想像しただけでも気が休まる暇がなさそうで、その1点だけでも、「一国の長になる覚悟を見た」とあの頃の私は周りに吹聴していた。でも、いまの内閣のていたらくを見るにつけ、自分の目がどれだけ曇っていたのかを思い知るようで悔しくてね。
あっ、こうしてまた深みにハマっていく? くわばら、くわばら。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2022年12月15日号