毎日60kmを歩いた光永師が大切にする「掃除」
掃除に始まり、掃除に終わる
私たちは「世界」、すなわち「自分を取り巻く環境」によってこそ生かされているのではないでしょうか。私が住持する覚性律庵には日々、さまざまなかたが訪れ、お話を聞かせてくださいます。人間関係や仕事の行く末、突然襲いかかってきた不運。お悩みには、ひとつとして同じものはございません。
けれど、私から申し上げられることは一貫しております。困難や問題に立ち向かい、解消せしめんとするとき、「自分」だけに目を向けてはなりません。それだけです。私が皆さまに生かされているように、あなたもまた「自分以外の世界」によって生かされているのではないでしょうか。難しい物事に立ち向かうとき、最初に手をつけるべきは「環境」を整えることです。そしてまた環境とは、人間関係だけでもないでしょう。現実に、もっとも長い時間、あなたを取り巻いている「環境」は人ではなく、自宅や仕事場といった「ものの環境」ではありませんか。
僧侶のいたし方は「掃除に始まり、掃除に終わる」といわれます。あながち、間違いではないでしょう。仏道だけでなく、仕事や家事、学問、スポーツ、趣味のひとつでさえ、もっとも基本的な修業の道は「繰り返すこと」です。雨の日も風の日も、台風の日も、喧嘩をした日も、悲しい日も、浮かれていても、とにかく続ける、繰り返すこと。これは千日回峰行ではなく掃除の話です。
人間が、ただ生きているだけで世界を乱し、汚してしまう存在かもしれませんが、同時に、人間は掃除を続けているかぎり、整えることを止めなければ、汚れ切ってしまうこともないのです。
多くのかたは世界を「二分法」で区切ってしまいます。仲良しと、苦手。味方、敵。高価なもの、安価なもの。あなたは、きちんと前者を大事になさっているでしょう。それは、掛け値なしに素晴らしいことです。けれど、それだけでは、どうにももったいないとも思うのです。ひょっとすると苦手なものにも、敵にも、あなたを生かしてくれる何かがあるかもしれません。
いいえ、あるのです。