親子の交流は途絶えた
本来ならば、父が亡くなった後、ひとりになった母をサポートするのは息子たちの役割のはずだ。しかし、政宏と政伸が母のために手を取り合うことはなかった。
「一時はファミリーコンサートを定期的に開催するほど仲がよく、共演する機会も多かった兄弟ですが、2013年に放送された高島一家のドキュメンタリー番組以降、一切共演していないのです。忠夫さんが亡くなる少し前には兄弟が“共演NG”になっていることが報じられ、確執が明らかになりました」(別の芸能関係者)
忠夫さんが逝去した2か月後の2019年8月には政宏が記者会見で兄弟の不仲を認め、「(政伸の)泥沼離婚後、気を使うのが正直なところ。行き来がないわけではないけど、確執はありますよ」と告白したこともあった。
「忠夫さんの死後、政宏さんは年老いた母を心配し、実家の敷地内にある別邸で夫婦そろって暮らしていましたが、いつの間にか別の場所に引っ越したようです。2021年6月の忠夫さんの三回忌は寿美さんの体調を考慮して自宅で法要が営まれましたが、政宏さんも政伸さんも姿を見せず、この日、兄弟が父親のお墓参りをすることもなかったそうです」(前出・高島家の知人)
「遺産」をめぐっても一家の確執があったと囁かれる。忠夫さんが亡くなる直前、世田谷にある豪邸の土地の約200分の1の権利が政宏に生前贈与されていた。
「高島家の場合は、寿美さんがすべての権利を相続すれば、彼女の一存で土地を売れますが、政宏さんが一部を所有することになったので、政宏さんの意向なしに土地を売ることはできなくなりました。
これは、忠夫さんの介護をするうちに、寿美さんが『息子たちに家を乗っ取られる』という妄想を抱き始め、さらに家を抵当に入れて、忠夫さんの医療費を借金するという計画が発覚したのがきっかけでした。すんでのところで弁護士を立てて協議し、阻止できたようですが、この頃から政宏さんは、“お母さんの面倒をこれ以上見るのは難しいかもしれない”という思いを抱いたといいます。
実際、政宏さんと寿美さんはここ数年コミュニケーションを取っていないようです。『この3年はコロナがあって高齢の母とは会えなかった』と弁明しているようですが……」(前出・芸能関係者)