せっかく貯めたお金を母親の交際相手に盗まれた花は、家を出て、母の知り合いである黄美子と暮らし始める。黄美子は東京・三軒茶屋のスナックをママから引き継ぎ、未成年の花も手伝うようになり、同世代の蘭や桃子も加わって、4人の女は家族のように暮らし始める。
スナックの入ったビルが火災に見舞われ、花たちは働く場所と稼ぐ手段を失う。困りはてた花が手を染めるのがカード詐欺だ。
花たちが三軒茶屋で暮らしていた1990年代は、犯罪に関しても転換期にあったそう。
「1990年代をじっくり描こうと思っていて、カード詐欺が浮かびました。カードにICチップが入ってそれまでみたいな詐欺ができなくなるのがこの後のことで、最後のひと花、という時期なんですね。
花たちがやっていることと、いま社会問題化している給付金詐欺とかオレオレ詐欺とも根っこは繋がっています。花に仕事を回すヴィヴィアンが、金持ちの金は、どんどん抜いてやればいい、と言いますけど、いま“出し子”とかやってる若い子たちもたぶん同じことを言われていると思います」
小説のアイディアは、自分で見つけるというより、「来る」と言う。
「来たものを言葉にしていくのが私の作業で、この小説に限ってはですけど割とポンポン来て、すんなり流れができていきましたね」
金のために罪を犯す花だが、物欲もなく目的は金ではない。4人の暮らしをなんとか続けたい、という切なる思いが花を犯罪に駆り立て、きまじめな彼女は、細心の注意を払って与えられた任務をこなす。
「人のために、一生懸命、バタバタバタバタ、走っている印象です。私は割と、全力で走ってる主人公を書きがちですねえ。自然にこういうキャラクターになっていったんですけど、まじめで、責任感があって、リーダーシップがある。
ある種のドタバタ劇で、私、短編だと割と真顔になるみたいで、それが長編になると、語りに、大阪人の笑いを求める部分がどうしても出てきますね」
自分を弁護する言葉を持たない人のことも書かなければいけないと
大人や社会からの助けをいっさい得られず、がむしゃらに走り続ける花の背中を、川上さんは高みから見おろさず、同じ視線の高さで追い続ける印象だ。
「私の出自がどちらかというと花ちゃんに近いからでしょうか。走り回って金策するのが通常運転という。どんなコミュニティに属しても、一生懸命さは必ずあります。
書き終えて私、離れた場所から誰かの人生を幸か不幸かジャッジすることなんかできないと強く思いました。この小説に出てくる人たちはみんなタフな人生を送ってますけど、それぞれに生き切っていて、読者にはそのエネルギーを感じてほしい。疾風怒濤を生きるエネルギーを」
犯罪小説である一方、『黄色い家』は伊藤花という少女の成長物語にもなっている。