ユリ・ゲラー氏の来日
清田氏の小学生時代(撮影/日刊スポーツ)
少年の運命が変わったのは1974年。イスラエル出身の超能力者、ユリ・ゲラー氏の来日がきっかけだった。ゲラー氏は人気テレビ番組『11PM』や『木曜スペシャル』(ともに日本テレビ系)などに出演。生放送の番組内で念を発すると、視聴者の手元にある壊れた時計が次々と時を刻むようになり、彼が触ったスプーンは大きく形を変える──そんなパフォーマンスに日本中が騒然となり、空前の超能力ブームが到来したのである。
この時、テレビでゲラー氏のスプーン曲げを見た清田少年は「これなら俺にもできそうだ」と直感。さっそく父親の前で試してみたという。
「見よう見まねでスプーンに触り、ひたすら曲がる姿をイメージし続けたら、50分ほどでスプーンが曲がった。それから何度も親父の前でスプーン曲げを披露すると『お前は寿司屋を継がなくていい。超能力者になれ』と言うんです(笑)。若いころから心理学や不思議な現象に興味を持ってた親父は、よき理解者でした」
当時小学校6年生だった清田少年の名前が全国区になったのはこの直後。大衆演劇の元締めをしていた祖父がスポーツ紙記者に孫の話をしたことから取材が始まり、新聞の一面を飾る大きな話題となったのだ。
「本当は祖父の取材のはずだったのに、何本もの折れ曲がったスプーンを前に微笑む俺の写真が新聞に掲載されたんです。それが本格的なマスコミデビューでした」
その日を境に、テレビや雑誌などのメディアに出ずっぱりになった。超能力ブームの立役者であるユリ・ゲラー氏との対面も叶えられた。ブーム最盛期の当時は、全国から「超能力少年・少女」が名乗りを上げたが、清田少年への注目度は群を抜いていたという。
「テレビに出るようになると、当然、周囲から注目されます。『超能力を見せて』『スプーンを曲げて』と人が集まり、小学校ではちょっとした人気者に。でも、中学、高校と進学するうちに『科学的に説明できない』『信用できない』と色眼鏡で見られることもあった。俺も下町育ちで荒っぽい性格だったから、『インチキだ!』という奴らとはけっこう揉めましたね(苦笑)。防衛大学や電気通信大学などで脳波計や心電図の機械に繋がれ、超能力を科学的に解明するための“実験台”になったこともあります」